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  20. 邪馬台国の疑問点(31)
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(無題)

 投稿者:米田 喜彦  投稿日:2022年 6月18日(土)10時35分45秒 fp76ee5538.tkyc003.ap.nuro.jp
返信・引用
  群雄勢力図  
 

國學院雑誌2020.11.15 日本書紀研究の現在と未来

 投稿者:いつかコウヘイ  投稿日:2022年 6月 9日(木)15時36分52秒 kc220-213-216-247.ccnw.ne.jp
返信・引用
   gooNET  に記載されている。
 瀬間正之「『日本書紀』β群の編述順序-神武紀・景行紀の比較から-
https://blog.goo.ne.jp/kosei-gooblog/e/e0fbb2bffc191705e7c6c2d0567ef2dc

内容の大略
【 天武朝以後の時期になってから、アマテラスの子孫である天皇家がこの国を統治することを保証する天孫降臨神話がβ群の漢字音と文体で書かれ、またα群の漢字音・文体で書かれていた巻二二の聖徳太子記述をβ群の語法で造形し直したと見るのです。大化改新が説かれる巻二五の孝徳紀は、歌謡の漢字音はα群に属すものの、漢文の誤用はβ群であるため、これもα群に属する「原孝徳紀」を大幅に書き改めたのだ、というのが瀬間さんの「日本書紀形成論」です。 】

【 β群は、巻五(崇神紀)「ハツクニシラスメラミコト」から書き始められ、巻一三まで書かれた。続いて巻二八・二九(天武紀)が書かれた。最終段階で行われたのは、既に存したα群の巻二二・二三の上書きと、巻一~巻四の述作であったのではないかという見通しを持った。(238頁上) 】

p君氏/いつかコウヘイのやり取り、仮説 神武上書き説は すでに専門家にて 数年前に提示されていた、と読めます。
 

確認事項(推定)

 投稿者:米田 喜彦  投稿日:2022年 6月 4日(土)23時18分55秒 fp76ee5538.tkyc003.ap.nuro.jp
返信・引用 編集済
  (有料の部分)  

(無題)

 投稿者:米田 喜彦  投稿日:2022年 6月 2日(木)10時24分50秒 fp76ee5538.tkyc003.ap.nuro.jp
返信・引用
  (新)討論室の使い方


│オヤジッチさんへ  投稿者:フレイルそんべ  投稿日:2022年 6月 2日(木)02時26分20秒 編集済

│お久し振りです。ずっと以前よく拝聴しておりました。今回
│お目に留まり恐縮です。

│新討論室への書き込みがむつかしいのでこちらに書かせてもらいました。


(新)討論室は、少し、クセがあるものですから、
投稿に当たっては、気を付けるところがいくつかあります。

「投稿の枠」は、同じですが、「新規スレ作成用」と「レス用投稿枠」の
2種類があります。

PS:
今、気が付きましたが、いくつかのスレで、「投稿件数」が、50前後になっています。
「投稿件数」50程度を目安に、新しいスレ「~(その2)」を作った方が良さそうです。
 

空想「ヤマタ国論」

 投稿者:米田 喜彦  投稿日:2022年 5月30日(月)23時15分10秒 fp76ee5538.tkyc003.ap.nuro.jp
返信・引用 編集済
  (その1):以下の考察は、アイデアの段階です。(ふざけている訳ではありませんが、私の性分です。)
(その2):「邪馬台国」の読み方は、「ヤマタ国」と読むらしいです。
(その3):「オロチ族」という部族があったことを知って、驚いています。

│「オロチ族」(ウィキペディアより)
│ロシアの少数民族の一つ。人口は約900人でハバロフスク地方のアムール川支流トゥムニナ川下流
│およびその支流およびフンガリ川、アムール川、キジ湖他に居住している。
│オロチ語はツングース諸語に属しており、云々。

(その4):「ヤマタノオロチ」を考えてみました。

│「ヤマタノオロチ」
│ヤマタノオロチ(八岐大蛇、八俣遠呂智、八俣遠呂知)は、日本神話に登場する伝説の生物。
│概要
│八岐大蛇は『日本書紀』での表記。『古事記』では八俣遠呂智と表記している。
│「高志之八俣遠呂智、年毎に来たり(古事記)」がみえ、古代日本の地方である
│高志(こし)から来たとされる。「ヤマタノオロチ」という名称の意味は諸説ある。
│本来は山神または水神であり、八岐大蛇を祀る民間信仰もある。
│古事記
│高天原を追放された須佐之男命(スサノオノミコト)は、
│出雲国の肥河(島根県斐伊川)の上流の鳥髪(現・奥出雲町鳥上)に降り立った。

(その5):最初に、イメージしたのは、「なまはげ」です。

│「なまはげ」(ウィキペディアより)
│なまはげは、秋田県の男鹿半島周辺で行われてきた年中行事、あるいはその行事において、
│仮面をつけ藁の衣装をまとった神の使い(来訪神)を指す。

(その6):ここからは、私のイメージの飛躍です。

九州(2万+5万=7万余戸)に匹敵する地域(7万余戸)を、日本国内で探すとなると、
魏志倭人伝の時代ですと、吉備か、大和/伊勢/丹波を中心とする勢力になると思います。
その時の航路は、投馬国(阿多)を南に向かって出航すると、黒潮に乗ります。
そこから九州を「反時計回り」に回って(吉備まで)行くのだろうと思います。

(その7)
:3世紀には、「出雲」「吉備」地方は、「葦原の国」だったろうと思います。
:3世紀には、同じように、「丹波国」「伊勢国」もあったと思います。
:スサノオを(新羅からやって来た)1世紀の人物と考えると、(そもそも、)
:日本海の沿岸を中心(出雲・丹波・越)に、「ヤマタ国」というものがあったのではないか。
:そして、やって来た、なまはげみたいな「オロチ族」をスサノオがやっつけた。
:そして、スサノオが「ヤマタ国」を手に入れた。

※:そんなことを、考えてみました。

 

Re: (無題)

 投稿者:石見介  投稿日:2022年 5月30日(月)01時30分29秒 flh2-133-206-98-96.osk.mesh.ad.jp
返信・引用 編集済
  > No.3660[元記事へ]

 以前、ここまで読んで、コメントを付けようか迷い、結局、止めましたが、ここで挙げられた、米田さんの仮説は、新討論室でも挙げられていたので、そこでコメントすればよい、と考えていました(が時間が無く、未投稿)。

 しかし、本日、今日時点までの投稿をすべて読み、米田さんが、難升米さんとの議論用に、この、「旧討論室のロビー」を、宛てておられる事に気付きました。
 討論の基礎となる、基礎的な知識の共有には、新討論室に出禁の難升米さんも、コメント出来る、このロビーが、良いように思えるので、こちらにコメントします。
 尚、私としては、共通の認識の為の、史料批判的部分の「提示」が、主目的なので、
議論は、控える場合があります。
 又、米田さんの。文章の引用部分は、適宜、削除させて戴きます。

> (新しく書きました。仮説のひとつくらいには、なると思います。)
>
> *****************

> 「そもそも邪馬台国はどこか、」(仮説:邪馬臺国は、狗奴国だった。)
>
> 後漢書倭伝:後漢(AD25年~220年の、国の歴史)
>
> :大倭王は、邪馬臺国に居住している。(←小さなクニです。)

  范曄『後漢書倭伝』には、戸数記事は、ありません。
 従って、「戸数7万戸の大国」であるとも、米田さんの仮説の「小さな国」とも、確定は出来ません。『魏志倭人伝』を参照すれば、後漢代も、それなりの「大国」であった可能性は、高いように、思われますが。

> :拘邪韓国から、7000余里離れている。(←もしかすると、水行7日。)
> :桓帝・霊帝の治世(147~189)の時代に、卑弥呼を共立した。

 「倭国乱」、即ち、安定的な、「男王」が「大倭王」=倭人諸国の盟主=として、7~80年(以上?)継続して治めていた時期の「後の」、倭国内乱時代が、「桓霊の間」で、卑弥呼が、自立ではなく、「共立」によって、大倭王に即位し、大国邪馬台国の地に、王都を置いたのは、その後ですから、女王国となるのは、霊帝の末期、光和年間になる。

> :(これを女王国という。)
> :女王国から東へ海を渡ること1000余里で、拘奴国に至る。
>
> 魏志倭人伝:魏(220~265年の、国の歴史)
>
> :狗弥韓国から、女王国に至る間の距離は、5000余里である。
> :邪馬壹(やまいつ)国は、女王の都している所である。

 これは、史料批判から、「邪馬臺国」が正しい事は、「確定的」で、「邪馬壹國」は、現行刊本『三国志』の元となった、写本の「誤写」である事は、明白です。
 古田武彦氏が、史料批判を理解していなかっただけです。
 米田喜彦さんが、その誤謬の上に立って、推論すれば、誤謬が相乗的に増加する事になります。

> :(〇〇から、水行10日・陸行1か月)
> :奴国は2万余戸。投馬国は、5万余戸。(←、合わせると、7万余戸)

 『魏志倭人伝』の、恣意的解釈です。
 戸数記事が、邪馬台国九州説にとって、不利に働くので、戸数記事(等)を、虚数として無視する(松本清張氏など)か、勝手に合計して、無理矢理、九州島内に納めるか、陳寿もしくはその原史料の、意図的或いは伝聞等による、誤情報であると、考える。
 逆に、邪馬台国近畿説論者にとっては、戸数記事は、最重要な根拠なので、これを、絶対に正しいと主張する。
 この戸数合計論を出した時点で、米田さんの、邪馬台国九州説論者としての、基本的立場が、明確化される事になります。


> :邪馬壹(やまいつ)国は、7万余戸。 (←、ほぼ、九州島の大きさ)
> :伊都国には、代々国王がいて、女王国に統属している。
> :女王国の南に、「狗奴国」があり、男王がいる。
> :女王国の東、海を渡ること1000余里のかなたに、また国がある。
> :いずれも倭種の国である。
>
> ********************************
> ※:そもそも、日本書紀では、連続した複数の天皇が、
> _:同じ都を使ったということは、ないのです。

 その通りです。

> ※:ですから、後漢の時代に、拘邪韓国から、水行7日の処にあった、

  この「水行7日」という日程も、米田さんの「解釈」です。

> _:大倭王が居住していたという、「邪馬臺国」という国は、後漢の
> _:時代の末期には、つまり、魏の時代の前には、(「邪馬臺国」は、)
> _:(似た名前の邪馬壹国はあるが)無くなっていたのです。

 この部分は,米田さんの「解釈」であり、文献読解上、誤解があります。
 女王国連合の「首都」は、邪馬臺「国」であって、「邪馬臺」という名の「城」「邑」であるとは、記述されていない。
 米田さんは、自説に合わせる為に、卑弥呼時代以降の「邪馬臺国」を、戸数7万戸の広域の大国ではなく、「小さな国」という、「前提」を、先ず、仮説の出発点とされた。
 史料批判の観点からは、極めて成立困難な、解釈です。

> ※:そして、女王国の東にあった国は、「拘奴国」から「倭種の国」に
> _:変わったのです。そして、「邪馬臺国」のあったところには、
> _:(女王国の南に、)「狗奴国」が出来ていて、男王がいるのです。

 二つの「奴国」同様、何故、二つの「クナ/クマ」国があっては、いけないのでしょうか?
 熊本県も、紀伊半島の熊野も、どちらも、現代では、「くま」です。

> ※:国の変遷というものは、こんなものでしょう。後漢書に出てくる、
> _:邪馬臺国に居住している「大倭王」は、男王だったと考えます。

 范曄は、『後漢書』の扱う年代を、後漢代までに、限定して、史料を集め、校勘、考証して、『後漢書倭伝』を書いた。卑弥呼は、後漢の霊帝末年に、大倭王に共立され、献帝の時代を経て、魏の時代になる。
 彼の協力者の集めた資料には、倭人諸国の国名リストや、行程にある諸国の史料が無かったから、倭人諸国の名は、倭奴国、邪馬臺国、狗奴国とおそらく同音の「拘奴国」の名前しかなかった。
 范曄の、史料に対する、史家としての姿勢、矜持が、窺える、と私は、判断しています。
 石原道博氏の言うような、『後漢書倭伝』は『魏志倭人伝』の「下手なパクリ」ではない。

> ※:それにしても、この後漢書倭伝を書いた人物は、相当のへそ曲がりですね。

 この点は同感です。

> _:魏志倭人伝そっくりに書いているように見せかけています。

 それは違いでしょう。
 范曄は、六朝貴族の一員で、その才能を同時代人にも、広く認められ、左遷中の暇つぶしに、後漢代史書の決定版を書こうと思い立ち、協力者を募った。
 「多くの学徒を集め」と書かれているように、皇帝の意思に逆らって左遷された地方官の彼に、協力者が、多数集まった。
 金なし、協力者なしの、陳寿とは、そのあたりが、全然違う。
 米田さんは、伝統的な史書の執筆パターンを、陳寿を真似たと、誤解されておられると、思われます。

> _:けれども、同じように見せておいて、実は、違うことを書いています。
> _:筆者は、相手を混乱させて、喜んでいますね。

 そうではなく、范曄が、史料を読み込んでの、彼なりの考証を行った結果だと思います。
 范曄は、獄中から、一族の子弟に宛てた書信の中で、「六夷」即ち、列伝の中の夷蛮伝6巻の文章などを、自慢しています。
 余程、自信があったのでしょう。
 その夷蛮伝6巻の最初が、「東夷列伝」です。
 范曄の『後漢書』が現れるや、直ちに評判になり、先行した、正史『(東観)漢記』以下の後漢代をあるかった、所謂七(八)家後漢書と称される史書群を、圧倒し、後世には、范曄『後漢書』と袁宏『後漢紀』のみしか、残らなかった。
 文意が同時代人に理解でき名あい様な史書が、しかも、著者が皇帝の意に添わずに左遷され、一族ともども刑死した様な人物の著作が、そこまで、支持される筈がない、と私は、考えます。
 范曄が、獄中で死を前にして一族子弟(大半は、連座して、刑死する)に宛てた書信で、その文章を自慢したように、范曄には、史才の他に、文才もあり、世人に広く認められていた。難解な文章ではなかった、と思います。

> _:「読めるものなら、読んでみろ。」感、満載です。
> _:テクノクラートのささやかな「お遊び」といったところでしょうか。

 皇帝の要望である、琴の演奏を、拒絶するぐらいの自由人で、『宋書』の編纂者沈約の功績とされる、「四声」を、吉川忠夫氏らによれば、既に発見していたという、天才ですから、「史官」といった存在ではなく、むしろ、近現代の自由な文化人の様な、気質だったのではないか・と私は、考えています。

 尚、范曄の協力者,謝儼の手になる、范曄が、本紀、列伝を書く際の参考にした、「十志」は、范曄が刑死した為、連座を怖れた謝儼によって、廃棄され、失われました。
 その結果、現行の范曄『後漢書』の「郡国志」等の、志、表は、司馬彪の『続漢書』の物なので、地理誌や郡国志の類を、范曄が参考にしたものと受け取ると、問題が生じます。


 尚、范曄の「考証」が行われた部分として、「倭国王帥升」の部分が考えられ、これが、私が、スサノヲを「帥升」だとする見解を、否定する根拠となっています。

http://「

 

鉄から見た我が国の古代史

 投稿者:当世奇妙  投稿日:2022年 5月23日(月)09時59分17秒 p1691010-ipoe.ipoe.ocn.ne.jp
返信・引用
  鉄から見た我が国の古代史
│高効率発電システム研究所 吉田 敏明

引用文献を見ると古代鉄の専門研究者の文献
引用は無いですね。
 

Re: 弁辰の鉄

 投稿者:当世奇妙  投稿日:2022年 5月22日(日)06時12分49秒 p1691010-ipoe.ipoe.ocn.ne.jp
返信・引用
  > No.3704[元記事へ]

> 弁辰の鉄

米田さん
出典教えて頂けませんか。
興味深いです。
 

RE:弁辰の鉄

 投稿者:米田 喜彦  投稿日:2022年 5月20日(金)23時01分35秒 fp76ee5538.tkyc003.ap.nuro.jp
返信・引用 編集済
  弁辰の鉄

「弁辰の鉄」で検索していたら、次のような論文を見つけました。

PS:(投稿図:下段):白石南花さんの投稿図より


*****

│鉄から見た我が国の古代史
│高効率発電システム研究所 吉田 敏明


http://www.tenpes.or.jp/files/user/pdf/personal/magazine/high/pdf/201509/20150908.pdf


または、

「鉄から見た我が国の古代史」で、検索してみて下さい。

*****

吉田敏明 経歴

専門:ボイラ設計、ボイラ保守技術
資格:技術士(機械部門)
   高圧ガス製造保安責任者(乙種機械)

1968年3月 早稲田大学理工学部機械工学科卒。

 同年4月 IHI入社。

ボイラ設計5年、原子力開発10年、燃料電池開発12年、

ボイラメンテナンスに18年半の合計45年半を一貫して

エネルギー部門の仕事に従事。

ボイラ保守統括部主幹(部長)

2013年9月 IHIを退職。

  同年10月 高効率発電技術研究所入所
     理事
     700℃級超々臨界圧火力発電プラント開発ボイラ分科会主査

2017年3月 高効率発電技術研究所を退職

 同年4月 (株)ベストマテリアに入社
     技師長
現在に至る

著書
  吉田敏明、藤川卓爾、黒石卓司、小川道隆、歴史を学べば未来は拓ける
  -火力発電の歴史―、平成25年12月20日、火力原子力発電技術協会
 

弁辰の鉄

 投稿者:米田 喜彦  投稿日:2022年 5月20日(金)17時25分6秒 fp76ee5538.tkyc003.ap.nuro.jp
返信・引用 編集済
  弁辰の鉄


(投稿図:上段):東洋文庫「三国史記3」P-173

(投稿図:中段)

│* Re: 加羅の名は討論スレッド ( No.3 )
│日時: 2020/10/10(土) 16:20:35  名前: 白石南花

https://shiroi.shakunage.net/images/sinkannohatten.png

│紀元前三世紀末以降の辰韓の展開を、図示しました。
│自身の地名比定と、文献記載を丸呑みしたものですので、そのまま真実かどうかはわかりません。
│今後考古学的な検証を行うつもりでいます。

(投稿図:下段):(PDF)韓国 - JOGMEC金属資源情報_より

5.探鉱状況
韓国は、石灰石や珪石などの非金属資源については豊富に賦存しているため、
国内生産で国内供給の 7 割程度を賄っているものの、金属資源の海外依存度は 99%を超える。
一方で、海外での資源確保に資金的限界があるため、国内鉱山の活用も行ってきており、
2008 年より産業通商資源部(当時、知識経済部)は「国内金属鉱再開発計画」を進めてきた。
KORES も国内探査にも投資を行っており、現在、Uljin(蔚珍)郡のモリブデン鉱床、
Chungju(忠州)市の滑石鉱山、Yangyang(襄陽)郡の磁鉄鉱鉱山の開発プロジェクトに出資している。
この鉄鉱山は平均 Fe 品位 58%の鉄鉱石が生産される予定であり、
生産された鉄鉱石は POSCO と現代製鉄に供給される見通しである。
韓国政府の進める国内鉱山開発は、すでに採算が合わずに休廃止した鉱山を対象としており、
現代の技術力で生産性を上げることで再開発を目指している。
(添付の地図では、Sinyaemiは、操業中になっています。)
 

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