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(その1):以下の考察は、アイデアの段階です。(ふざけている訳ではありませんが、私の性分です。)
(その2):「邪馬台国」の読み方は、「ヤマタ国」と読むらしいです。
(その3):「オロチ族」という部族があったことを知って、驚いています。
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│「オロチ族」(ウィキペディアより)
│ロシアの少数民族の一つ。人口は約900人でハバロフスク地方のアムール川支流トゥムニナ川下流
│およびその支流およびフンガリ川、アムール川、キジ湖他に居住している。
│オロチ語はツングース諸語に属しており、云々。
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(その4):「ヤマタノオロチ」を考えてみました。
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│「ヤマタノオロチ」
│ヤマタノオロチ(八岐大蛇、八俣遠呂智、八俣遠呂知)は、日本神話に登場する伝説の生物。
│概要
│八岐大蛇は『日本書紀』での表記。『古事記』では八俣遠呂智と表記している。
│「高志之八俣遠呂智、年毎に来たり(古事記)」がみえ、古代日本の地方である
│高志(こし)から来たとされる。「ヤマタノオロチ」という名称の意味は諸説ある。
│本来は山神または水神であり、八岐大蛇を祀る民間信仰もある。
│古事記
│高天原を追放された須佐之男命(スサノオノミコト)は、
│出雲国の肥河(島根県斐伊川)の上流の鳥髪(現・奥出雲町鳥上)に降り立った。
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(その5):最初に、イメージしたのは、「なまはげ」です。
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│「なまはげ」(ウィキペディアより)
│なまはげは、秋田県の男鹿半島周辺で行われてきた年中行事、あるいはその行事において、
│仮面をつけ藁の衣装をまとった神の使い(来訪神)を指す。
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(その6):ここからは、私のイメージの飛躍です。
九州(2万+5万=7万余戸)に匹敵する地域(7万余戸)を、日本国内で探すとなると、
魏志倭人伝の時代ですと、吉備か、大和/伊勢/丹波を中心とする勢力になると思います。
その時の航路は、投馬国(阿多)を南に向かって出航すると、黒潮に乗ります。
そこから九州を「反時計回り」に回って(吉備まで)行くのだろうと思います。
(その7)
:3世紀には、「出雲」「吉備」地方は、「葦原の国」だったろうと思います。
:3世紀には、同じように、「丹波国」「伊勢国」もあったと思います。
:スサノオを(新羅からやって来た)1世紀の人物と考えると、(そもそも、)
:日本海の沿岸を中心(出雲・丹波・越)に、「ヤマタ国」というものがあったのではないか。
:そして、やって来た、なまはげみたいな「オロチ族」をスサノオがやっつけた。
:そして、スサノオが「ヤマタ国」を手に入れた。
※:そんなことを、考えてみました。
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