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  • [0]
  • 高天原にあった卑弥呼の墓

  • 投稿者:管理人
  • 投稿日:2021年 5月 1日(土)11時17分36秒
  • h175-177-044-165.catv02.itscom.jp
 
日時: 2021年04月10日 12:58
名前: p君 [ 返信 ]
[ 削除 ]
魏志倭人伝に書かれた卑弥呼の墓が高天原にあった。

高天原最有力地・奈良県御所市高天の日本最古の神社・高天彦神社の境内に、
径百余歩(約150m)の塚があり、魏志倭人伝の記述通り奴婢が埋葬されている。
埋葬された奴婢とは土蜘蛛である。
(画像)

卑弥呼(Bei mei hu)とは比咩后(Bi mie hou)、比売后〈Bi mai hou〉、つまりヒメ后である。

⑩崇神(310年頃 318年没)
⑨開化
     ⑧孝元
          ⑦孝霊
トヨ津媛          ⑥孝安 ⑤孝昭
トヨ津媛      (250年頃) ④懿徳
ヒメ(踏鞴五十鈴)后        ③安寧
ヒメ(踏鞴 五十鈴)后       ②綏
ヒメ(踏鞴五十鈴)后 (200年頃) ①神武

ヒメ(踏鞴五十鈴)后もトヨ津媛も鴨族。
鴨の語源はカミ。
鴨族の聖地が高天原。

ヒメ(踏鞴五十鈴)后もトヨ津媛も高天原の神々であった。

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  • [136]
  • 九州に卑弥呼墓候補はない

  • 投稿者:p君
  • 投稿日:2022年 5月25日(水)18時44分14秒
  • 061-113-037-040.jp.fiberbit.net
  • 返信
 
以前、卑弥呼墓=祇園山説の人が、「一底長」だか「一長底」だか忘れましたが、
人間のかかとからつま先までの、今でいう靴のサイズと同等の単位があり、
それが百余歩の正体だといわれてました。

今なら平均26センチだとして、古代人なら体も小さかったゆえ、24センチというところでしょうか。

これはもう祇園山古墳を卑弥呼墓に無理やり合わせるための捏造ですね。

ちなみに古代の一尺が約23センチなのだから、それとほぼ変わらない長さの単位などあったら、
ややこしくて仕方ないので、そんなものは存在するはずありません。

  • [135]
  • 九州に卑弥呼墓候補はない

  • 投稿者:p君
  • 投稿日:2022年 5月23日(月)19時54分53秒
  • 061-113-037-040.jp.fiberbit.net
  • 返信
 
卑弥呼の墓の話をします。

九州説で卑弥呼の墓の最有力候補は久留米の祇園山古墳のようです。

「規模・形状」
形状は方墳で、規模は東西約23.7メートル、南北約22.9メートル、高さ約6メートルで、標高60メートル(墳丘頂部)、標高55メートル(墳丘基準面)である。葺石は2段(墳丘裾部と上段の盛土部分)であり、方墳は本来の地形を楕円形に整形した台地の上に存在する。
周辺からは埴輪などは出土していない。埋葬主体は墳頂部中央の箱式石棺である。石棺はあるが槨はなく、形状、規模とも吉野ケ里遺跡の楕円状構築物の上に築造された方形墳丘墓および楽浪漢墓(阿残墓)石巌里第9号墳に類似する。

「墳裾外周部」
墳丘外周からは、66人分以上と推定される甕棺墓3基、石蓋土壙墓32基(未調査5・不明2を含む)、箱式石棺墓7基、竪穴式石室墓13基、構造不明7基の埋葬施設が確認されている。甕棺は糸島地区にみられる甕棺専用大型土器の系統に連なり、その末期型式に位置づけられる[9]。第7号箱式石棺墓(H7)では、石棺の両小口側(短辺側)それぞれに朱に染まった粘土塊があることから枕の痕跡と捉え(人骨は見つかっていない)、被葬者2体の頭位を逆にして同じ棺に埋葬した「差し違い2体葬」と考えられた[10]。このような「差し違い2体葬」は当墓のほか、祇園山古墳の南に位置する祇園山2号墳の墳丘直下で検出された石蓋土壙墓でも見つかっている[11]。

「卑弥呼の墓説」
宝賀は、墳墓の形状、主体部(石棺)、築造時期が3世紀中期であると考えられること、規模が一辺約23メートル・斜辺32メートルで下部が楕円状であること、石棺はあるが槨が無いこと、石棺に朱が塗られていること、周囲に埴輪がなく墓群があること(殉葬者と仮定)、そのうちの第1号甕棺墓(K1)からは後漢鏡片や大型勾玉などの豪華な装身具が出土していること、G1号墓からは鉄製の武器や農具が出土し、時期的に矛盾が無いことなどが『魏志倭人伝』の卑弥呼の墓の記載と一致するとしている。また魏朝の薄葬令や朝鮮諸国、帯方郡の墳墓がいずれも30メートル前後の方墳であったことなど、国際的観点から照らし合わせても同墳の規模に不自然さが無く、さらにこの古墳が邪馬台国が存在した可能性のある筑紫平野を一望できる高台に占地することをあげて、卑弥呼の墓ではないかとの説を示している[3]。

そのほかに、村下要助・廣木順作が同古墳(弥生墳丘墓)を卑弥呼の墓であると主張している[22][23]。また石野博信は畿内説論者であるが、邪馬台国を筑紫に想定した場合、同古墳が卑弥呼の墓として「有力候補になってくるのかもしれない」と述べた[24]。このほか、田中幸夫は様相が卑弥呼の墓に類似するとした[25]。学術論文ではないが作家の足立倫行は、2011年に『週刊朝日』に掲載した紀行文の中で、築造を卑弥呼没年より半世紀後としつつも、卑弥呼の墓を彷彿させると述べた[26]。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

規模が一辺約23メートル・斜辺32メートルの古墳がどうして径百余歩になるのか、全く分かりません。
殉葬らしき痕跡があるというのが、この祇園山古墳説の最大の根拠でしょうが、
一番肝心な大きさを無視していいなら、どこだって卑弥呼墓候補になれると思われます。

少し前に筑豊の赤村に巨大前方後円墳があった、という話がありましたがどうなったのでしょう。
私は画像を見る限り、あれは前方後円墳ではないと思いますが、土器も出ていたとも聞きますし、古墳の可能性はまだあるのかもしれません。

もし巨大前方後円墳なら、その被葬者として、少し頭をよぎったのが物部宗家滅亡の6世紀末、物部守屋の子で筑豊に流されたといわれる片野田です。

どちらにしても今のところ九州説にはこの祇園山古墳くらいしか候補がない、これはもはや九州説自体が成り立たなくなっている、と言えると思います。

  • [134]
  • 保管用 チェック

  • 投稿者:米田 喜彦
  • 投稿日:2022年 4月25日(月)17時47分19秒
  • fp76ee5538.tkyc003.ap.nuro.jp
  • 返信
 
2022-04-25


  • [133]
  • Re: (無題)

  • 投稿者:p君
  • 投稿日:2022年 4月24日(日)20時30分13秒
  • KD027085014081.ppp-bb.dion.ne.jp
  • 返信
 
>>132

ネチネチネチネチと何が言いたいのでしょうか。

「高天原にあった卑弥呼の墓」という主題から離れるレスはやめてください。



  • [132]
  • (無題)

  • 投稿者:米田 喜彦
  • 投稿日:2022年 4月24日(日)20時26分5秒
  • fp76ee5538.tkyc003.ap.nuro.jp
  • 編集済
  • 返信
 
.
.
下記は、別の掲示板で、(あなたが)10年前に書いた投稿文です。(なつかしいですね。)

この10年で、(あなたは)進歩したでしょうか。
私のほうは、(ゆっくりですが)系図解読作業は、着実に進んでいます。
まだ、言いたいことがありますか。
あれば、聞きます。(米田)

*******************************


│[7469] RE:日本書紀は、どこまで正しいか?(その3)Name:P君  NEW! 2012/03/17(土) 20:01
│>
│> _:どうしてこれが、「ダブルスタンダード」になるのか、理解できません。
│>
│「日本の歴史3 大王から天皇へ」熊谷公男著には、
│4世紀前半から5世紀の前半にかけての金海・釜山を中心に、
│慶州・馬山などの地で土師器系(布留系)土器が出土していると書かれてますので、
│神功皇后の時代とも合います。辰韓の時代ならいざ知らず、
│三国史記にそれ以前の新羅時代が書かれてるなら嘘というしかありません。伝・応神天皇陵や
│大仙陵からの須恵器の編年から考えても、神功皇后は4世紀後半の人物で間違いないでしょう。


あなたの引用したところは、P―028ですね。「日本の歴史3 大王から天皇へ」

〔引用〕:古墳時代の列島でもっとも日常的に使われた土師器の系譜を引く土器が、
    :金海・釜山を中心に・・・・。


>三国史記にそれ以前の新羅時代が書かれてるなら嘘というしかありません。

※:この程度の「嘘」は、かわいいと思いませんか?
_:「朴堤上は、婆娑王の五世の孫である」など、正確な記述がされていて、
_:ほほえましく思いますが・・・。

_:それでも三国史記は、「嘘だ」、とか、「ダブルスタンダード」とか、いうのでしたら、
_:日本書記だって、「嘘」ですよ。

_:なぜなら、中国では、国が変わると、次の国によって、前の国の歴史書が作られます。
_:とすると、
_:なぜ、「古事記」は、推古天皇で終わっているのか。
_:蘇我蝦夷の時に、焼かれた天皇記・国記は、何なのか。そう考えると、

_:
_:推古天皇の時代で、「倭国」は、終わったのである。そして、新しい国「日本」が、出来たのである。

>三国史記にそれ以前の新羅時代が書かれてるなら嘘というしかありません。

_:(倭国が終わって、日本なのに)
_:日本書記に、それ以前の倭国の時代が書かれてるなら「嘘」というしかありません。

*****************************

[13732] ヒメヒコ制 Name:P君   NEW! 2012/11/09(金) 20:11 [ 返信 ]

どなたか、ヒメヒコ制について知っておられたら教えてください。

ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%A1%E3%83%92%E3%82%B3%E5%88%B6

「ヒメヒコ制とは、弥生時代後期から古墳時代前期(紀元前1世紀から紀元後4世紀)にかけて
日本各地で成立した男女別集団の共立的統治形態をいう。農耕的女子集団の長を主にヒメ、
軍事的男子集団の長を主にヒコといったことからヒメヒコ制と名づけられた。」


自分の解釈ですが、つまり女系社会であって、
ヒコよりヒメが優先であり、ヒコがいくらコロコロ変わっても、
ヒメが亡くならない限り国はそのまま継続し、
ヒコが奥さんをもらおうが、ヒメが生きている以上、その奥さんはヒメにはなれなかったのでしょう。
(皇后と言うとまた意味が変わってきそうなので、便宜上あえて奥さんと呼びます)

まさに倭人伝の女王国ですね。

そこで気になるのが画像の10代までの天皇系図。

この赤い字の女性たちはそのまま「ヒメ」なのではないでしょうか。

例えば考元の時代、ヒメは考元の奥さんである欝色謎命ではなく、
ヤマトトトヒモモソ媛が勤めてたのではないでしょうか。

そういう意味では箸墓古墳が実質最後のヒメであるかもしれない
ヤマトトトヒモモソ媛の墓であってもおかしくないですが、
しかしながら時代的に彼女が卑弥呼であるはずはありません。

自分の考えるヒミコはやはりヒメタタライスズ媛であり、つぎのヒメは天豊津媛命(トヨ)でしょう。

**********************************




  • [131]
  • Re: (無題)

  • 投稿者:p君
  • 投稿日:2022年 4月24日(日)18時43分18秒
  • KD027085014081.ppp-bb.dion.ne.jp
  • 返信
 
>>130
>(その1):オオタタネコは、天日方奇日方命の子孫です。
>(その2):スサノオ8世孫・阿田賀田須命で切れてはいません


血筋という意味では切れてはいませんが、スサノオ・事代主の子孫が崇神により「神官」とされたはおかしいでしょ。
また崇神時代以降に大物主が一切出てこない。
これを易姓革命と言わずに何というのでしょう。



>:「味鉏高彦根命」と「事代主命」の系図は、ウィキペディアの記述(続柄)に合わせて、
>:(自作の)系図を書きましたので、スレ「東アジア海洋国家論」に載せておきました。


系図は創作するものではありません、あなたは何をしてるのだ。
あなたの創作系図がこの先何年かWEBに載るのは迷惑なので止めてください。

私の国宝中平銘鉄刀と卑弥呼の系図は浅間大社和邇氏系図、日本書紀、地祇本紀を繋げたもので、
私の創作の部分はありません。

あなたの創作系図は古代史への冒涜です。


  • [130]
  • (無題)

  • 投稿者:米田 喜彦
  • 投稿日:2022年 4月24日(日)17時18分43秒
  • fp76ee5538.tkyc003.ap.nuro.jp
  • 編集済
  • 返信
 

│[129] Re: (無題) 投稿者:p君 投稿日:2022年 4月24日(日)07時17分26秒

│高天彦神社   高皇産霊神- 主神。【蜘蛛窟】住処の跡。
│その蜘蛛窟というのは洞窟であって、
│神武軍が大きな岩を置いて土蜘蛛が出られないようにしたという伝承があります。
│高天原に洞窟がある、これは7世紀に創作される
│アマテラスの天岩戸神話にもつながる日本の古代史の根幹のような話になります、

※:p君さんが、そう信じておられるのであれば、お好きにどうぞ。


│大神神社は崇神のころ4世紀前後の建立でしょう。
│崇神により堺の須恵村から連れてこられたオオタタネコが神官になり、それ以降が三輪氏、
│オオタタネコは事代主の傍系であり、天日方奇日方命の子孫ではありません。
│この時代に事代主→天日方奇日方命以降のスサノオの直系が消えていることに留意されたし。
│スサノオ8世孫・阿田賀田須命で切れてます。

※:『古代豪族系図集覧(©1993)』という系図集は、私は2001年に(古本屋にて)購入しました。
_:ページによっては、矛盾する箇所もありますが、おおむね正しいとして、使っております。
_:1ページをそのまま加工(省略)せずに、掲載するのは、気が引けるのですが、
_:p君さんには、それなりの根拠があって、言われていることと思いますので、紹介します。

(その1):オオタタネコは、天日方奇日方命の子孫です。
(その2):スサノオ8世孫・阿田賀田須命で切れてはいません。

(P―230):系図に登場する「逆」は、用明天皇紀に出てくる「三輪君逆(さこう)」のことです。


│崇神が流血革命を起こしスサノオ8世孫・阿田賀田須命=大物主神を殺したのです。
│だからその怨霊を恐れて大神神社を建てた。

│日本の天皇はその時に奪った「スサノオ直系の刀=アジスキタカヒコネの神度剣」がないと
│天皇に即位できません。
│この画像の後ろは同じく崇神が出雲振根から奪った八尺瓊勾玉でしょう。

(P-368):「出雲振根」は、「天穂日命」を始祖とする「出雲」の系図に載っています。

※:この始祖を「天穂日命」とすることについては、男女混在での系図を考えたいところです。

※:系図に出てくる「毛呂須命」は、「但馬諸助/多遅摩母呂須玖」の事ではないか。
_:系図に出てくる「阿多命」は、「阿田賀田須命」ではないか、と想像しております。

※:私の系図解読では、「事代主→天日方奇日方命」の子孫は。半島と倭国を行き来していて、
_:「天日槍」・「孝霊天皇」は、「事代主→天日方奇日方命」の子孫だろうと、考えています。


│[129] Re: (無題) 投稿者:p君 投稿日:2022年 4月24日(日)07時17分26秒

※:この投稿での、p君さんの説は、(今までと違って)骨があります。どなたかの説でしょうか。

PS:
:「味鉏高彦根命」と「事代主命」の系図は、ウィキペディアの記述(続柄)に合わせて、
:(自作の)系図を書きましたので、スレ「東アジア海洋国家論」に載せておきました。


  • [129]
  • Re: (無題)

  • 投稿者:p君
  • 投稿日:2022年 4月24日(日)07時17分26秒
  • 061-113-037-040.jp.fiberbit.net
  • 編集済
  • 返信
 
>>128
> ┌
> │『御所市(ごせし)』(ウィキペディアより)
> │御所市(ごせし)は、奈良県の中部に位置する市。
> │
> │社寺(神社のみ記載):「祭神」を一覧表にします。(Wiki調べです。)
> │
> │葛城一言主神社_:葛城之一言主大神- 主神。_______【土蜘蛛塚】遺骸を埋めた塚。
> │高天彦神社___:高皇産霊神- 主神。__________【蜘蛛窟】住処の跡。
> │高鴨神社____:阿遅志貴高日子根命-主祭神。下照比売命・天稚彦命、事代主命、阿治須岐速雄命。
> │鴨都波神社___:積羽八重事代主命と下照姫命を主祭神とし、建御名方命を配祀する。
> │長柄神社____:下照姫命(したてるひめのみこと)。元々は云々。
> └




高天彦神社   高皇産霊神- 主神。【蜘蛛窟】住処の跡。
その蜘蛛窟というのは洞窟であって、神武軍が大きな岩を置いて土蜘蛛が出られないようにしたという伝承があります。
高天原に洞窟がある、これは7世紀に創作されるアマテラスの天岩戸神話にもつながる日本の古代史の根幹のような話になります、



> ┌
> │アジスキタカヒコネを祀っているのが高鴨神社でその御神体はこんもりした小山です。
> │おそらくアジスキタカヒコネの墓でしょう。
> │その場所は高天原こと御所市高天から直線距離で南西に1.3キロ離れた場所です。(画像)
> └
>
> ※:系図の再考をした結果、「阿遅志貴高日子根命」と「事代主命」が別人であることは、了解しました。
>
> ※:日本書紀や古事記では、「大和のクニ」を支配していた「ナガスネヒコ」を
> _:ニギハヤヒや神武天皇などが、殺したことになっています。
> _:「ナガスネヒコ」は、「味鉏高彦根命」本人か、(または、)その子どもと考えます。


そこから間違えてます、そんな間違えた前提で妄想していくからトンデモな結論になるわけです。
ナガスネヒコが何で大御神なのか。
大御神で剣を持ち暴れる短気な神で高天原を追放といえば一人でしょう、なんで気づかないのか。




>
> ※:大神神社(三輪山)は社家によると、「事代主命」の男系(天日方奇日方命)の子孫が務めています。


大神神社は崇神のころ4世紀前後の建立でしょう。
崇神により堺の須恵村から連れてこられたオオタタネコが神官になり、それ以降が三輪氏、
オオタタネコは事代主の傍系であり、天日方奇日方命の子孫ではありません。
この時代に事代主→天日方奇日方命以降のスサノオの直系が消えていることに留意されたし。
スサノオ8世孫・阿田賀田須命で切れてます。

崇神が流血革命を起こしスサノオ8世孫・阿田賀田須命=大物主神を殺したのです。
だからその怨霊を恐れて大神神社を建てた。

日本の天皇はその時に奪った「スサノオ直系の刀=アジスキタカヒコネの神度剣」がないと天皇に即位できません。
この画像の後ろは同じく崇神が出雲振根から奪った八尺瓊勾玉でしょう。



>
> ※:「大和のクニ」の支配は、同じ「大国主命」の子孫でも、
> _:「味鉏高彦根命(ナガスネヒコ)」の系統から
> _:「事代主命/天日方奇日方命」の系統に、すり替わっています。
> _:いつ頃・何があったのかは分かりません。
>
> ※:しかし、【土蜘蛛塚】遺骸を埋めた塚のある「葛城一言主神社」には、
> _:「味鉏高彦根命」は祀られていません。ですので、
> _:「味鉏高彦根命」(または、「ナガスネヒコ」)を祀っている「高鴨神社」
> _:とは、関係がないように見えます。
>
> ※:【土蜘蛛塚】遺骸を埋めた塚のある「葛城一言主神社」と、
> _:「味鉏高彦根命」を祀っている「高鴨神社」を結び付けて、論じる意味が分かりません。


最初の前提が間違えているから結論がグダグダになっておられます。



  • [128]
  • (無題)

  • 投稿者:米田 喜彦
  • 投稿日:2022年 4月23日(土)22時29分48秒
  • fp76ee5538.tkyc003.ap.nuro.jp
  • 返信
 

│『御所市(ごせし)』(ウィキペディアより)
│御所市(ごせし)は、奈良県の中部に位置する市。

│社寺(神社のみ記載):「祭神」を一覧表にします。(Wiki調べです。)

│葛城一言主神社_:葛城之一言主大神- 主神。_______【土蜘蛛塚】遺骸を埋めた塚。
│高天彦神社___:高皇産霊神- 主神。__________【蜘蛛窟】住処の跡。
│高鴨神社____:阿遅志貴高日子根命-主祭神。下照比売命・天稚彦命、事代主命、阿治須岐速雄命。
│鴨都波神社___:積羽八重事代主命と下照姫命を主祭神とし、建御名方命を配祀する。
│長柄神社____:下照姫命(したてるひめのみこと)。元々は云々。


│アジスキタカヒコネを祀っているのが高鴨神社でその御神体はこんもりした小山です。
│おそらくアジスキタカヒコネの墓でしょう。
│その場所は高天原こと御所市高天から直線距離で南西に1.3キロ離れた場所です。(画像)


※:系図の再考をした結果、「阿遅志貴高日子根命」と「事代主命」が別人であることは、了解しました。

※:日本書紀や古事記では、「大和のクニ」を支配していた「ナガスネヒコ」を
_:ニギハヤヒや神武天皇などが、殺したことになっています。
_:「ナガスネヒコ」は、「味鉏高彦根命」本人か、(または、)その子どもと考えます。

※:大神神社(三輪山)は社家によると、「事代主命」の男系(天日方奇日方命)の子孫が務めています。

※:「大和のクニ」の支配は、同じ「大国主命」の子孫でも、
_:「味鉏高彦根命(ナガスネヒコ)」の系統から
_:「事代主命/天日方奇日方命」の系統に、すり替わっています。
_:いつ頃・何があったのかは分かりません。

※:しかし、【土蜘蛛塚】遺骸を埋めた塚のある「葛城一言主神社」には、
_:「味鉏高彦根命」は祀られていません。ですので、
_:「味鉏高彦根命」(または、「ナガスネヒコ」)を祀っている「高鴨神社」
_:とは、関係がないように見えます。

※:【土蜘蛛塚】遺骸を埋めた塚のある「葛城一言主神社」と、
_:「味鉏高彦根命」を祀っている「高鴨神社」を結び付けて、論じる意味が分かりません。


  • [127]
  • Re: (無題)

  • 投稿者:p君
  • 投稿日:2022年 4月23日(土)13時25分32秒
  • KD027085014081.ppp-bb.dion.ne.jp
  • 編集済
  • 返信
 
>>126

> ※:【土蜘蛛塚】が遺骸を埋めた塚であることは、理解しました。
> _:あなたの主張は、「(卑弥呼の時代の)奴婢の大量埋葬痕跡」のはずです。
>
> ※:上記の伝承からは、「(卑弥呼の時代)」の「遺骸を埋めた塚」であるかは、不明です。
> _:上記の伝承からは、その「遺骸」が、奴婢であるかどうかは、不明です。
> _:上記の伝承からは、その「遺骸」が、少人数の可能性もあります。


だから私はずっと質問していたわけです。
4世紀初~前半の崇神天皇以前で良いですから、奴婢、または奴婢になったであろう集団が、
大量に埋葬された痕跡が、御所市以外に、日本のどこかありますかと聞いてたわけです。
答えられなのなら「ない」ということで、魏志倭人伝に書かれた殉葬奴婢の話はここという事になりますし、
その奴婢=土蜘蛛を誅殺したのは神武ですから、
卑弥呼と神武の時代が重なってくるわけです。



>
> ※:どちらかというと、雄略天皇は残虐な天皇でしたから、雄略天皇に殺された人物を考えてしまいます。
> _:例えば、雄略天皇は、本当は、葛城の「一言主神」を殺したのではないか、と。そして、埋めたと。
>


続日本紀によれば土佐に流されたということで、土佐に一言主を祭神とする土佐一宮が実在することからもおそらく事実でしょう。
しかしこの話とは時代が違うし関係がない。


> ┌
> │また古事記では高姫とシタテルヒメは同一人物だし、別人などと余計な事を言わないでください。
> │葛城にはヒメ(踏鞴五十鈴)后は祀られていません、
> └
> ※:「高姫とシタテルヒメは同一人物」は、了解しています。
> _:問題は、「高姫」と「高照姫」は、別人だろう、と、言っているのです。(ややこしいのです。)
>
> ┌
> │高姫=シタテルヒメ=アマテラスの方が重要な女性だったからです。
> │魏志倭人伝の卑弥呼だから祀られているはずだというのは短絡的です。
> └
> ※:「高姫=シタテルヒメ」と「アマテラス」が、同一人物であるということを
> _:p君さんが、本気で主張するのなら、これは、「大問題」です。
>


何が大問題なのか、訳が分かりません。
「高姫=シタテルヒメ」の兄のアジスキタカヒコネは大御神という称号を与えられてます。
古事記で大御神はイザナギ、アマテラス、そしてこの迦毛大御神(かものおおみかみ)ことアジスキタカヒコネ以外にいません。
そして気が短く、剣を持って暴れます。
アジスキタカヒコネを祀っているのが高鴨神社でその御神体はこんもりした小山です。
おそらくアジスキタカヒコネの墓でしょう。
その場所は高天原こと御所市高天から直線距離で南西に1.3キロ離れた場所です。(画像)

「大御神」「気が短い」「剣を持ち暴れる」「高天原を追放」

このキーワードでアジスキタカヒコネがスサノオであることが分かると思いますが。
ならば「高姫=シタテルヒメ」こそアマテラスの原像となります。

記紀は魏志倭人伝の卑弥呼と男弟の記事から、この兄妹を姉弟という設定に変えたのでしょう。
アマテラスと卑弥呼を同一人物視してくれたら、卑弥呼の100年前の倭国王帥升がスサノオにはならないですから、
帥升ことスサノオの土下座謁見要請を隠すことを記紀編纂の主題としていた朝廷にとっては都合がよいからです。

いまだ日子八井命を卑弥呼とする「卑弥呼オカマ説」を唱えるあなたの方が大問題です。



  • [126]
  • (無題)

  • 投稿者:米田 喜彦
  • 投稿日:2022年 4月23日(土)12時06分14秒
  • fp76ee5538.tkyc003.ap.nuro.jp
  • 返信
 
*******************************

:日本伝承大鑑__奈良__HOME奈良高天彦神社 蜘蛛窟
:高天彦神社 蜘蛛窟__【たかまひこじんじゃ くもくつ】

:葛城の地で土蜘蛛にまつわる史蹟が二ヶ所ある。
:一つは葛城一言主神社の境内にある【土蜘蛛塚】。
:もう一つが高天彦神社のそばにある【蜘蛛窟】。
:前者は遺骸を埋めた塚であり、後者は住処の跡とされている。

:葛城一言主神は葛城の土地神であり、また高天彦神社は葛城氏の祖先を祀る神社である。
:つまり二つの土蜘蛛の塚は葛城氏ゆかりの聖地のかたわらに置かれているのである。
:このことから“土蜘蛛”と呼ばれ排除された一族は、葛城氏と同族であり、
:ここへ東征してきた神武天皇 に与することを潔しとしなかった者達であると
:想像することはやぶさかではないだろう。

*******************************

>[125] Re: 「高天原」の移動 投稿者:p君

│蜘蛛窟で検索してみてください、何も労をいとわない。
│グーグルマップにまで出てきますので、充分「痕跡」ということになります。
│痕跡があるという事実から逃げないでください。

※:【土蜘蛛塚】が遺骸を埋めた塚であることは、理解しました。
_:あなたの主張は、「(卑弥呼の時代の)奴婢の大量埋葬痕跡」のはずです。

※:上記の伝承からは、「(卑弥呼の時代)」の「遺骸を埋めた塚」であるかは、不明です。
_:上記の伝承からは、その「遺骸」が、奴婢であるかどうかは、不明です。
_:上記の伝承からは、その「遺骸」が、少人数の可能性もあります。

※:どちらかというと、雄略天皇は残虐な天皇でしたから、雄略天皇に殺された人物を考えてしまいます。
_:例えば、雄略天皇は、本当は、葛城の「一言主神」を殺したのではないか、と。そして、埋めたと。


│また古事記では高姫とシタテルヒメは同一人物だし、別人などと余計な事を言わないでください。
│葛城にはヒメ(踏鞴五十鈴)后は祀られていません、

※:「高姫とシタテルヒメは同一人物」は、了解しています。
_:問題は、「高姫」と「高照姫」は、別人だろう、と、言っているのです。(ややこしいのです。)


│高姫=シタテルヒメ=アマテラスの方が重要な女性だったからです。
│魏志倭人伝の卑弥呼だから祀られているはずだというのは短絡的です。

※:「高姫=シタテルヒメ」と「アマテラス」が、同一人物であるということを
_:p君さんが、本気で主張するのなら、これは、「大問題」です。


  • [125]
  • Re: 「高天原」の移動

  • 投稿者:p君
  • 投稿日:2022年 4月23日(土)10時06分36秒
  • KD027085014081.ppp-bb.dion.ne.jp
  • 編集済
  • 返信
 
>>124



「このスレの主旨は御所市高天に日本で唯一奴婢の大量埋葬痕跡があり、径百余歩の塚があるという客観的的事実です。
ここ以外に奴婢の大量埋葬痕跡が日本のどこかにありますかという私の質問をスルーして話を進めないでください、迷惑です。
私の質問にあなたを含め誰も答えれていないという客観的事実を認めてください。」


>:「奴婢の大量埋葬痕跡」については、確かめようがないので、分かりません。


蜘蛛窟で検索してみてください、何も労をいとわない。
グーグルマップにまで出てきますので、充分「痕跡」ということになります。
痕跡があるという事実から逃げないでください。


山陰の出雲大社荒垣外摂末社で祀られている神々と、奈良県御所市で祀られている神々が同じである事、
だから私は御所市の高天原にいた事代主やその末裔を出雲系と言ってるわけです。
出雲と大和葛城は同根、同祖、同族である。

また葛城出自を自称する蘇我、そして出雲大社の素鵞社(そがのやしろ)、これが関係がないわけはないでしょう。

そして卑弥呼=ヒメ(踏鞴五十鈴)后も出雲系という事になります。
だから7世紀に出雲を象徴する蹈鞴という名前を付けられたのでしょう。

また古事記では高姫とシタテルヒメは同一人物だし、別人などと余計な事を言わないでください。
葛城にはヒメ(踏鞴五十鈴)后は祀られていません、高姫=シタテルヒメ=アマテラスの方が重要な女性だったからです。
魏志倭人伝の卑弥呼だから祀られているはずだというのは短絡的です。


  • [124]
  • 「高天原」の移動

  • 投稿者:米田 喜彦
  • 投稿日:2022年 4月23日(土)00時35分4秒
  • fp76ee5538.tkyc003.ap.nuro.jp
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│[123] Re: 「高天原(伽耶)」の移動 投稿者:p君 投稿日:2022年 4月22日(金)17時22分43秒
│>_>122
│>※:「下照比売命」は、(A案)「高天原(伽耶)」→「出雲」。(B案)「出雲」→「九州」。
│>:ABの2案のどちらかです。ですので、「下照比売命」が、畿内(葛城)に来ることはありません。


│伽耶に高天原はありません。
│あったという証拠がありません。
│一方、高天原が御所市高天であったのは「蜻蛉日記」や「古今和歌集序聞書三流抄」に書かれています。
│この客観的事実から目を背けないでください。

│その御所市の多くの神社に「下照比売命」が祀られているという事実があります。
│高天原(御所市高天)に深く関わっていた女性だから祀られているのです。
│したがって「下照比売命が、畿内(葛城)に来ることはありません」というあなたの意見は妄言です。




│『御所市(ごせし)』(ウィキペディアより)
│御所市(ごせし)は、奈良県の中部に位置する市。

│社寺(神社のみ記載):「祭神」を一覧表にします。(Wiki調べです。)

│葛城一言主神社_:葛城之一言主大神(ひとことぬしのおおかみ) - 主神。幼武尊- 第21代雄略天皇。
│長柄神社____:下照姫命(したてるひめのみこと)。元々は長柄首が祖神を祀ったが、のちに云々。
│高天彦神社___:高皇産霊神(たかみむすびのかみ) - 主神。市杵嶋姫命。菅原道真公。
│高鴨神社____:阿遅志貴高日子根命-主祭神。下照比売命・天稚彦命、事代主命、阿治須岐速雄命。
│鴨都波神社___:積羽八重事代主命と下照姫命を主祭神とし、建御名方命を配祀する。
│鴨山口神社___:大山祇命を主祭神とし、大日霊大神、御霊大神を配祀する。
│葛木御歳神社__:主祭神-御歳神。大年神(御歳神の父神)、高照姫命(たかてるひめのみこと)。
│葛木水分神社__:天水分神(あまのみくまりのかみ)、国水分神(くにのみくまりのかみ)。

※:「下照姫命」と「高照姫命」は、別人のようです。

『下光比売命(したてるひめのみこと/したでるひめのみこと)』(ウィキペディアより)
:下光比売命(下照比売、高比売命、下照姫命、高姫命、稚国玉)は、日本神話に登場する神道の女神である。

:祀る神社
:比賣神社  (富山県南砺市高宮):主祭神 下照比賣命
:玉津岡神社(京都府綴喜郡井手町):主祭神 下照比賣命
:大穴持御子玉江神社(乙見社とも。出雲大社#荒垣外摂末社):主祭神 下照比賣命
:比売許曽神社(難波 大阪市東成区東小橋):主祭神 下照比賣命(江戸時代までは牛頭天王)
:__『延喜式神名帳』では下照比売社が比売許曽神社であると記す。
:__なお、比売碁曾社の主祭神は明治以降は牛頭天王から下照比売命に代わっている。
:売豆紀神社(めつきじんじゃ、島根県松江市):主祭神 下照比賣命
:売布神社 :主祭神 下照姫神
:倭文神社(鳥取県)
:__現在は建葉槌命が主祭神となっているが、社伝にはシタテルヒメに関するものが多く、
:__大正時代まではシタテルヒメが主祭神であると考えられていた。
:__倭文神社内の塚がシタテルヒメの墓であると考えられていたが、発掘により経塚であると判明した。
:高野宮(内神社)(島根県松江市):主祭神 下照姫命


<下照比売命 を祀る神社(玄松子が参拝した神社のみ)>【 下照比売命:玄松子の祭神記 】

伊和神社_____兵庫県宍粟市一宮町須行名407
倭文神社_____鳥取県東伯郡湯梨浜町宮内754
倭文神社_____鳥取県倉吉市志津209
阿須伎神社_____島根県出雲市大社町遙堪1473
阿須利神社_境内_下照姫神社___島根県出雲市大津町龍王山3668
賣豆紀神社_____島根県松江市雑賀町1663
大穴持御子玉江神社_島根県出雲市大社町修理免字向地920
大穴持御子神社___島根県出雲市大社町杵築東
佐太神社______島根県松江市鹿島町佐陀宮内72
内神社_______島根県松江市大垣町746
倭文神社______岩手県遠野市土渕町土渕18地割174
日吉大社_境内_宇佐若宮_____滋賀県大津市坂本5-1-1
若子神社______栃木県日光市日光
比賣神社______富山県南砺市高宮字中丹保4520
波波伎神社_____鳥取県倉吉市福庭654
穴門山神社_____岡山県倉敷市真備町妹字諏訪下895
高向大社_境内社__三重県伊勢市御薗町高向二ツ屋74
仁壁神社______山口県山口市三の宮2-2136
住吉神社_境外社_下照姫神社___福岡県福岡市博多区住吉3-1-51
市比賣神社_____京都府京都市下京区本塩竈町593
貴船神社_境外社_白石社_____京都府京都市左京区鞍馬貴船町180
鴨都波神社_____奈良県御所市宮前町513
長柄神社______奈良県御所市大字名柄字宮271
素盞雄神社_____奈良県桜井市大字初瀬字与喜下79
高鴨神社______奈良県御所市大字鴨神
松原諏方神社____長野県南佐久郡小海町豊里字居村4316


※:私の座右の銘(のひとつ)は、「データをして語らしめよ。」です。
※:ここまでは、ウィキペディアを中心に、「下照比売命」を集めました。

************************************

│銅鐸が弥生時代に出雲→畿内と中心地が移動しているからです。


※:次は、『風土記』の記述です。
※:いわゆる「天孫降臨」は、出雲or豊前国宮処(天)から日向に、お降りになっていると読めます。

───────────────────────────────────────────────
◎:『風土記』東洋文庫版から見た、『風土記』に残っている移動の伝承 <『常陸国風土記』の話>
(東洋文庫_P-28)(「綺日女命」:かむはたひめのみこと:神機姫命、つまり、「はたおりむすめ」)
───────────────────────────────────────────────
:古老がいうことには、「すめみまの命(皇孫瓊瓊杵命)が天からお降りになったとき、
:御服(みぞ)を織るために従って降った神、み名は、綺日女命は、もと筑紫の日向の
:二所(ふたがみ)の峯より、三野(美濃)の国の引津根の丘においでになった。後、
:みまき天皇(崇神天皇)のみ世になって、長幡部の遠祖多弖(たて)命は、三野(美濃)を
:去って、久慈に移り、機殿(はたどの)を造り立てて初めてこれを織った。云々。
───────────────────────────────────────────────
(P-343)豊前国天孫は宮処(みやこ)から日向の旧都に天降った。天照大神の神京(みやこ)である。
───────────────────────────────────────────────

(ウィキペディアより)
:『古事記』および『日本書紀』正伝によれば、葦原中国平定のために高天原から遣わされた天若日子が、
:大国主神に取り入ってあわよくば葦原中国を自分のものにしようと目論み、その娘である高比売命と
:結婚した。天若日子が高天原からの返し矢に当たって死んだとき、高比売命の泣く声が天
:(『古事記』では高天原)まで届き、その声を聞いた天若日子の父の天津国玉神や
:天若日子の妻子らは葦原中国に降臨し、天若日子の喪屋を建て殯を行った。

(疑問点)
※:葦原中国を出雲と考えると、高天原が奈良県にあったら、話がへんである。
※:高比売命(下照比売命)の子どもの記述がないのです。不思議です。
※:先代旧事本紀(巻第三 天神本紀)では、ニギハヤヒの天の磐船には、下記の人たちが乗っています。
_:(天の岩屋の登場人物も含まれます。)どこからどこへ、向かうのでしょうか。

高皇産霊尊は
「葦原中国の敵が神を拒絶して待ち戦うものが有れば、よく策略を用いて欺き防いで、治め平らげよ。」
と仰った。三十二人に指示して共に防ぎ守るよう天下りの伴に命じた。

 天香語山命(あめのかごやまのみこと)    尾張連(おわりのむらじ)等の先祖
 天鈿賣命(あめのうずめのみこと)      猿女君(さるめのきみ)等の先祖
 天太玉命(あめのふとたまのみこと)     忌部首(いんべのおびと)等の先祖
 天児屋命(あめのこやねのみこと)      中臣連(なかとみのむらじ)等の先祖
 天櫛玉命(あめのくしたまのみこと)     鴨県主(かものあがたぬし)等の先祖
 天道根命(あめのみちねのみこと)      川瀬造(かわせのみやつこ)等の先祖
  天糠戸命(あめのぬかどのみこと)      鏡作連(かがみつくりのむらじ)等の先祖
 天明玉命(あめのあかるたまのみこと)    玉作連(たまつくりのむらじ)等の先祖

***************************************

│その御所市の多くの神社に「下照比売命」が祀られているという事実があります。
│高天原(御所市高天)に深く関わっていた女性だから祀られているのです。
│したがって「下照比売命が、畿内(葛城)に来ることはありません」というあなたの意見は妄言です。

│このスレの主旨は御所市高天に日本で唯一奴婢の大量埋葬痕跡があり、
│径百余歩の塚があるという客観的的事実です。
│ここ以外に奴婢の大量埋葬痕跡が日本のどこかにありますかという
│私の質問をスルーして話を進めないでください、迷惑です。

(その1):「下照姫命」を祀る神社は、島根・鳥取で、合わせて10社。対して、御所市は、3社。
(その2):高貴な女性が移動(移住)先に、「高天原」の地を設定することは考えられます。
___:そうすると、「高天原」の地を設定は、神武東征の後と、考えられます。
___:下照姫命が、やって来たとすると、そこは、「高天原」ではなく「葦原中国」になります。
(その3):「奴婢の大量埋葬痕跡」については、確かめようがないので、分かりません。
(その4):御所市(ごせし)にある8つの神社の祭神を見る限り、祭神の中に、卑弥呼は見当たらない。
(その5):もしかして、「下照姫命」を「卑弥呼」だと考えて、いるのですか?
(その6):高天彦神社には、「下照姫命」は祀られていない。主神は高皇産霊神(たかみむすび)。

  • [123]
  • Re: 「高天原(伽耶)」の移動

  • 投稿者:p君
  • 投稿日:2022年 4月22日(金)17時22分43秒
  • KD027085014081.ppp-bb.dion.ne.jp
  • 返信
 
>>122
>※:「下照比売命」は、(A案)「高天原(伽耶)」→「出雲」。(B案)「出雲」→「九州」。
>_:ABの2案のどちらかです。ですので、「下照比売命」が、畿内(葛城)に来ることはありません。


伽耶に高天原はありません。
あったという証拠がありません。
一方、高天原が御所市高天であったのは「蜻蛉日記」や「古今和歌集序聞書三流抄」に書かれています。
この客観的事実から目を背けないでください。

その御所市の多くの神社に「下照比売命」が祀られているという事実があります。
高天原(御所市高天)に深く関わっていた女性だから祀られているのです。
したがって「下照比売命が、畿内(葛城)に来ることはありません」というあなたの意見は妄言です。

このスレの主旨は御所市高天に日本で唯一奴婢の大量埋葬痕跡があり、径百余歩の塚があるという客観的的事実です。
ここ以外に奴婢の大量埋葬痕跡が日本のどこかにありますかという私の質問をスルーして話を進めないでください、迷惑です。
私の質問にあなたを含め誰も答えれていないという客観的事実を認めてください。

また男性である日子八井命が卑弥呼であるなどという発言は掲示板のレベルを著しく下げるのでやめてください。

米田さんが新討論室の管理主査になったからと言って、あなたの意味不明な説が支持されてるわけではありません、
一番暇そうだから選ばれているだけでしょうし、勘違いをなさらないようにお願いします。

  • [122]
  • 「高天原(伽耶)」の移動

  • 投稿者:米田 喜彦
  • 投稿日:2022年 4月22日(金)14時04分51秒
  • fp76ee5538.tkyc003.ap.nuro.jp
  • 編集済
  • 返信
 

│[121] (無題) 投稿者:p君 投稿日:2022年 4月22日(金)10時53分49秒

│アマテラスは伽耶にいたという事ですか?

│高天原は、古代から高天山と呼ばれた金剛山近辺だと、
│一般に認識されていた事は、古今和歌集などでも分かります。
│そしてそこは大和朝廷発祥の地です。

│この高天原近辺は、御所市の名柄や櫛羅(くじら)に銅鐸が出ている事などから、
│出雲系の王権があったことも分かります。
│銅鐸が弥生時代に出雲→畿内と中心地が移動しているからです。


<スサノオとその子孫(鴨族)の動きを見ます。>(かなり大雑把ですが、時系列で見ていきます。)


(その1):スサノオの昇天_:スサノオが「高天原(伽耶)」に向かう_______(スサノオ)

(その2):天の岩屋こもり_:スサノオが乱暴。「天照大神B」へ代替わりをする。(AD53年頃)

(その3):スサノオの追放_:「高天原(伽耶)」→「新羅」→「出雲」

(その4):(出雲の)国譲り:「大国主命」の登場________________(大国主命)

(その5):天孫降臨____:出雲から九州へ派遣。_________(大国主命&下照比売命)

(その6):ニギハヤヒの東遷:九州から畿内へ(天の磐船で)移動。_(157年頃)_(事代主命)

(その7):神武東征____:九州から吉備へ、吉備から畿内へ移動。___(媛蹈鞴五十鈴媛命)

(その8):「媛蹈鞴五十鈴媛命」系と「五十鈴依媛命」系の争い__(名草媛)/(金剛山の命名)
___:(または)「手研耳命」と「卑弥呼」の争い(190年頃)


※:天の岩屋こもりは、AD53年頃に、出雲での出来事だろうと、思っています。
_:そうすると、上記の順番が、少し変わるかも知れません。

※:「下照比売命」は、(A案)「高天原(伽耶)」→「出雲」。(B案)「出雲」→「九州」。
_:ABの2案のどちらかです。ですので、「下照比売命」が、畿内(葛城)に来ることはありません。



  • [121]
  • (無題)

  • 投稿者:p君
  • 投稿日:2022年 4月22日(金)10時53分49秒
  • KD027085014081.ppp-bb.dion.ne.jp
  • 返信
 
>>120
>>>※:伊勢神宮に祀られるアマテラスなる女性は、間違いなく、天皇家の祖であります。(ただし、)


>>その女性はどこにいたのですか?


> ※:スレ「東アジア海洋国家論」の“[28]海洋国家論(その1)”から“[45]海洋国家論(その10)”を
> _:お読み下さい。
>
> ※:簡単に云うと、大伽耶の世主「正見母主」を「天照大神A」にしています。
> _:「A」があるということは「天照大神B」もいます。それは、日本書紀のお話の中では、
> _:「天の岩戸」の話(死と再生)の中で、娘が母に入れ替わっているからです。
> _:代々の女系の女性(「天祖」)は、大伽耶の世主「正見母主」を「アマテラス」として祀っています。


アマテラスは伽耶にいたという事ですか?

高天原は、古代から高天山と呼ばれた金剛山近辺だと、一般に認識されていた事は、古今和歌集などでも分かります。
そしてそこは大和朝廷発祥の地です。

この高天原近辺は、御所市の名柄や櫛羅(くじら)に銅鐸が出ている事などから、出雲系の王権があったことも分かります。
銅鐸が弥生時代に出雲→畿内と中心地が移動しているからです。

また父が大国主、母が宗像三女神のタギリヒメであるシタテルヒメ(=高姫)が当地で多くの神社に祀られてます。
シタテルヒメ(=高姫)の兄が剣を持つ暴れん坊で、大御神とよばれ、高天原(御所市高天)を追放された場所(=高鴨神社)で祀られていることから、
スサノオとしか考えられないし、ならばシタテルヒメ(=高姫)がアマテラスの原像であった、という事が言えるとおもいます。
下照と天照が対比してますしね。

半島との絡みでいえば、そのシタテルヒメ(=高姫)の母方の宗像族が半島に多く出る多紐細分鏡を祭器としていたようで、
御所市でいえば名柄遺跡から銅鐸と共に出ています。
だからアマテラスの原像の女性は、母方が半島に強く縁のある人物であったのかもしれない。

しかしながらアマテラス=シタテルヒメ(=高姫)自身が半島にいたかと言えば、
それは全然違うであろうという事になると思います。

  • [120]
  • アマテラス大神とアマテラス大神を祀る人

  • 投稿者:米田 喜彦
  • 投稿日:2022年 4月21日(木)23時11分7秒
  • fp76ee5538.tkyc003.ap.nuro.jp
  • 編集済
  • 返信
 

│[119] Re: 「RE:(その5)」に関して 投稿者:p君 投稿日:2022年 4月21日(木)17時57分18秒
│ >_>_118
│>※:伊勢神宮に祀られるアマテラスなる女性は、間違いなく、天皇家の祖であります。(ただし、)

│その女性はどこにいたのですか?


※:まず、はじめに、「豊鋤入姫命」の話をします。
_:この女性は、「天照大神」を祀る女性で、伊勢に移り住んだ(初めての)女性です。
_:外宮に祀られている「豊受大神」は、この「豊鋤入姫命」のことだろうと考えています。

│(ウィキペディアより)
│伊勢神宮外宮の社伝(『止由気宮儀式帳』)では、雄略天皇の夢枕に天照大神が現れ、
│「自分一人では食事が安らかにできないので、丹波国の比治の真奈井(ひじのまない)にいる
│御饌の神、等由気太神(とゆけおおかみ)を近くに呼び寄せなさい」と言われたので、
│外宮に祀るようになったとされている。即ち、元々は丹波の神ということになる。


<「崇神天皇の即位年(300年)」についての考察> 崇神天皇元年=300年(干支は一致しません)

◎:『勘注系図』『海部氏系図』は、(定説では)後世の偽作系図ということになっています。
_:そもそも、日本書紀そのものが、紀元前660年に、神武天皇が即位したという、トンデモな本
_:ですから、私は、素人の系図解読マニアですので、使えるものは何でも使おうという立場です。
_:ということで、『勘注系図』・『海部氏系図』は、正しいかどうかを確かめたいと思います。

(仮説):少なくとも、『勘注系図』・『海部氏系図』の(年代の)干支は(すべて)正しいとして、
    :干支を基準に、並べ替えてみました。(カッコ内の西暦は、米田が追記したものです。)

│『崇神の壬戌(302年)年春三月、豊鋤入姫命、天照大神を戴(いただ)き、   ←:『勘注系図』
│大和国笠縫の里から、丹波の余社郡(よさのこおり)久志比之眞名井原匏宮に移る。
├                       (くしひのまないはら-よさのみや)
│三九年壬戌(302年)。但波(たんば)の吉佐宮(よさのみや)に遷し奉る。   ←:『倭姫世紀』

│崇神即位六年己丑(305年)。秋九月倭笠縫邑に、草薙剣を遷奉(うつしたてまつる):『倭姫世紀』

│丙寅(306年)年秋七月(四年後)に、また大和国伊豆加志本宮に遷ったとする。』←:『勘注系図』
├                      (いずかしもとみや)
│四十三年丙寅(306年)。倭国伊豆嘉志本宮に遷し、八年齋(いつき)奉る。   ←:『倭姫世紀』
└           (やまとのくにいづかしもとみや)

※:『倭姫世紀』の崇神即位六年己丑(つちのとうし:305年)を正しいとすると、
_:「崇神天皇」元年は300年になります。そうすると、上記『勘注系図』『海部氏系図』の年代は、
_:(壬辰:垂仁天皇元年=332年、ですから)すべて、崇神天皇の時代に、収まることが分かります。

※:ここで大切なことは、実際に歩き回っているのは、「豊鋤入姫命」です。
_:『倭姫世紀』・『勘注系図』においては、まるで、「豊鋤入姫命=倭姫命」を前提にして
_:年代が語られているということです。(この辺に、何かトリックがありそうです。)

****************************

※:ここからは、「天照大神」の話をします。細かい話は、下記をお読み下さい。

※:スレ「東アジア海洋国家論」の“[28]海洋国家論(その1)”から“[45]海洋国家論(その10)”を
_:お読み下さい。

※:簡単に云うと、大伽耶の世主「正見母主」を「天照大神A」にしています。
_:「A」があるということは「天照大神B」もいます。それは、日本書紀のお話の中では、
_:「天の岩戸」の話(死と再生)の中で、娘が母に入れ替わっているからです。
_:代々の女系の女性(「天祖」)は、大伽耶の世主「正見母主」を「アマテラス」として祀っています。

http://


  • [119]
  • Re: 「RE:(その5)」に関して

  • 投稿者:p君
  • 投稿日:2022年 4月21日(木)17時57分18秒
  • 061-113-037-040.jp.fiberbit.net
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>>118

>※:伊勢神宮に祀られるアマテラスなる女性は、間違いなく、天皇家の祖であります。(ただし、)


その女性はどこにいたのですか?


  • [118]
  • 「RE:(その5)」に関して

  • 投稿者:米田 喜彦
  • 投稿日:2022年 4月21日(木)10時57分29秒
  • fp76ee5538.tkyc003.ap.nuro.jp
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.
「RE:(その5)」に関して

│その最たるものが天皇家であって、伊勢神宮に祀られるアマテラスなる女性は、
│天皇家の祖ではなく、崇神の時代に倒された大和にあった出雲系王権の象徴的な女性でしょう。
│大和葛城では高姫と呼ばれています。
│天皇家は前王権を倒したという罪意識から、また怨霊の鎮魂の意味を込め、
│そして自分たちの祖とすることで今も祀り続けているのだと思われます。

※:伊勢神宮に祀られるアマテラスなる女性は、間違いなく、天皇家の祖であります。(ただし、)

(その1):垂仁天皇紀25年(一書)。(意訳します。:女系の断絶による、「天祖:の移動の話です。)

:332+25-1=356(年)
:長尾市宿禰(武内宿禰=息長宿禰)には、第一夫人の子(神功皇后)が生まれたけれど、
:その後(の話として)、男子3人を生んだが、女系が断絶した。そのため、
:第二夫人の娘(磐之媛命)を「天祖」とした。

(その2)
:「名草媛」は、おそらく、「天日槍」の母親か、同母姉妹だろう。(おそらく夫余系の女性。)
:「名草媛」は、(「天日槍」の母親だったら、)7世紀の天皇の先祖の一人なのだろう。
:そのため、日本書紀は、この事件を、闇に葬ったのだろう。

(その3)
:7世紀の天皇家の始祖に当たる「天祖」は、誰だろうか。
:いろいろな女系の断絶を乗り越えて、本当に、藤原氏の始祖を探したら、「菟狭津媛」になった。

(その4)
:神武天皇紀:(太歳:114年)70年生まれの「天祖」が45歳の時、云々。____(↓89年生)
:高句麗本記:165年、新大王(神武天皇)は、王位についた。この時、(母親は、)77歳であった。

「天祖(70年生)」──「天祖(89年生)」──「菟狭津媛」/「新大王(神武天皇)」

(その5)
:240年前後、難升米(梨迹臣命)は、(234年に、死んでいるにも関わらず、)
:(太后)卑弥呼は、女王国を支配している、と報告している。この辺の感覚は、
:自分は、(自分が生きている間は)女王(「天祖」)の代理人だ、という感覚でしょうか。

(その6)
:240年頃の、西日本は、近畿地方を「伊賀津姫」が領しています。
:同じく、九州地方は、「天豊津媛命」が領していました。
:また、手研耳命の子孫は、熊本県地方で、「狗奴国」の王を主張していました。

(その7)
:「邪馬台国」には、「卑弥呼」がいるに違いない。という仮説(通説)のために、
:「邪馬台国論争」がヒートアップしたけれど、「邪馬台国」は、「九州島」で構わないです。

:その代わり、「卑弥呼」が居たのは、(後漢書に書いてある)「拘奴国」だったと考えます。


  • [117]
  • Re: (その5)

  • 投稿者:p君
  • 投稿日:2022年 4月21日(木)08時03分22秒
  • 061-113-037-040.jp.fiberbit.net
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>>116
>(その1):「建甕尻」と「(別名)タケミカヅチ」は、同一人物という説は、取り下げる。

「建御雷神(たけみかづち=鹿島神)は、中臣氏の系統になります。」

いえ、そんな短絡的な話ではないと思われます。
中臣の系図にタケミカヅチらしき人物はいますか?
いないですね、ではどういうことか。

倒した側に属するものが、倒された側の神を祀るという事が古代にあったであろうと考えてます。
たとえば不思議なのは和邇氏は孝昭天皇を祖とすることが日本書紀に書かれていますが、
先代旧事本紀にはスサノオ8世孫・阿田賀田須が祖であると書かれています。
古代は、怨霊の存在を真剣に信じ恐れていたため、倒した側が、あるいは倒した側に属するものが、
倒された神を憐み、またその怨霊封じの意味を込めて祀るという事が普通にあったと推測しています。

その最たるものが天皇家であって、伊勢神宮に祀られるアマテラスなる女性は、
天皇家の祖ではなく、崇神の時代に倒された大和にあった出雲系王権の象徴的な女性でしょう。
大和葛城では高姫と呼ばれています。
天皇家は前王権を倒したという罪意識から、また怨霊の鎮魂の意味を込め、そして自分たちの祖とすることで今も祀り続けているのだと思われます。

したがって建御雷神(たけみかづち=鹿島神)は、中臣氏の系統ではなく出雲鴨系であり、
その王統がやがて崇神により滅ぼされたのち、中臣が鎮魂の意味を込め祀り続けているのだと思っています。


>(その2):「邪馬台国論争は終結します。」などという、「大言壮語」は、言わない。


邪馬台国論争で。一番根本的な質問である、日本にある崇神以前の大量の奴婢埋葬痕跡を示してくれと言ってるわけですが、どなたも言わない。
それが唯一、奈良県御所市にある。
そして隣に150mの楕円形の塚がある。
場所は高天原と呼ばれた場所であり、ふもとに神武が宮を構えてることからも大和朝廷の発祥地である。
卑弥呼も高天原に住む神々のお一人だったので高天原に墓があることは、ある意味当然であろうという事です。
大言壮語に聞こえるかもしれませんが、私に大言壮語だと言う前に、私が示す場所以外の場所を示すことが先だと思いますがいかがですか?


>※:これらを守っていただけるのなら、p君さんを、新しい討論室に招待したいのです。
>_:守っていただけないのなら、「出禁」をお伝えしなければ、なりません。


私は意見を変えませんし、それが新しい掲示板の方向性にそぐわないといわれるなら出禁でもけっこうですよ。
この会は九州説者の方が多いようですが、畿内説の中でも異質の私を排除するというなら、それだけの会なのかと思うだけです。
前の掲示板から、この掲示板に移行したわけですが、管理人様が「高天原にあった卑弥呼の墓」「国宝中平銘鉄刀と卑弥呼の系図」スレの二つを立ててくださいました。
これはこの二つのスレが古代史にとって重要であると管理人さんが判断してくれたからこそ立ててくれたものと理解してます。


>※:折衷案としては、「イエローカード」という手もありますが、
>_:これまもで、さんざん、警告は破られてきました。

>※: p君さんとは、今回、本気で向かい合って、とことん議論(討論)をしました。
_:p君さん自身が、自説の不備に気付いていただければ、ありがたいのですが。

※:p君さんのお気持ちを、お聞かせ下さい。


不備はこれからもどんどん指摘してください。

  • [116]
  • (その5)

  • 投稿者:米田 喜彦
  • 投稿日:2022年 4月21日(木)00時19分39秒
  • fp76ee5538.tkyc003.ap.nuro.jp
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│[113] Re: <p君さんへ(質問その3)> 投稿者:p君 投稿日:2022年 4月20日(水)12時37分23秒

│> <p君さんへ(質問その3)>
│> ※:「質問の3回目」は、「建甕尻」と「(別名)タケミカヅチ」は、同一人物ですか? です。

│:先代旧事本紀・巻第四地祇本紀
│:「(スサノオ)五世孫、建甕尻命たけみかじりのみこと。またの名は建甕槌命たけみかつちのみこと、
│:または建甕之尾命(たけみかのおのみこと)。
│:この命は、伊勢の幡主の娘・賀貝呂姫がかいろひめを妻として、一男をお生みになった。」

│「たけみかつちのみこと」ですから、この人物が建御雷神(たけみかづち=鹿島神)ではないかと
│仮定してみればよいのです。

※:p君さんの発想力には、驚かされます。敬意を表します。(勉強になります。)

※:さて、この二人ですが、建御雷神(たけみかづち=鹿島神)は、中臣氏の系統になります。
_:建甕尻命(たけみかじりのみこと)は、鴨族です。ですから、男系が違います。別人です。

※:本来ですと、この二人は、同一人物にはなりません。で、終わり。のはずでした。
_:ところが、「天香語山命(高倉下命)が夢を見たのは、いつの事?」という疑問が出て来ました。


│[115] Re: <p君さんへ(質問その4)> 投稿者:p君 投稿日:2022年 4月20日(水)22時52分26秒
│>_>_114
│><p君さんへ(質問その4)>:天香語山命(高倉下命)が夢を見たのは、いつの事でしょうか?


│天香語山命がいつ夢を見たのかなんて分かりません(笑)

│天香語山命は3世紀初頭あたりに腹違いのウマシマジとともに
│奴国=那古野が語源の名古屋を討ったとみています。
│だから米田さんの質問で言えば神武東征の後すぐということになります。

※:この文章は、先代旧事本紀では、「神武東征の最中の出来事」として、書かれているにも関わらず、
_:「建甕尻(別名)建甕槌命タケミカヅチ」を書くことで、「神武東征の後すぐ」ではなく、
_:「神武東征」の20年後とか40年後の話を(内緒で)書き残していることに気が付きました。

※:建甕槌命(タケミカヅチ)が、長生きしたのではなくて、「建甕尻」を書くことで、
_:「神武東征」後の(秘密の)内乱(倭国大乱)を(内緒で)書き残した、そんな気がします。


│談話室にまで来て調子に乗るな。  投稿者:p君  投稿日:2022年 2月28日(月)22時53分50秒

│私は神武天皇は和歌山で名草媛の体を八つ裂きにした猟奇集団の長といってるわけで、・・・。


※:神武東征は、AD150年頃を考えています。そして、その後、(約40年後)
_:「建甕尻」たちが、名草媛を殺していて、それは、190年頃の「倭国大乱」だった。
_:「天香語山命(高倉下命)」は、このあと、越の国に向かっています。

※:(妄想を続けると、)この戦いに勝って、196年頃に、巻向に都を作ったのは、卑弥呼だった。
_:でも、それは、(後漢書に書いてある)「拘奴国」だった。(234年に、消滅。)


※:本来ですと、(質問その5)を書かなくては、ならないのですが、
_:ここまでの流れは、今まで考えたこともなく、私も勉強になりました。
_:それで、p君さんに、最後に言います。


│つまり仮説が全部符合するので、やはり和邇氏の系譜に卑弥呼がいた、ということになり、
│和邇氏系図も正しいということになり、金関 恕さんが言われたように(云々)
│ということになり、邪馬台国論争は終結します。


(その1):「建甕尻」と「(別名)タケミカヅチ」は、同一人物という説は、取り下げる。
(その2):「邪馬台国論争は終結します。」などという、「大言壮語」は、言わない。

│> ※:この二人の「天忍男命」は、どちらが正しいと思いますか? (又は、どう思いますか。)

│今まで考えたことがないので、思いついたらまた書き込みます。

(その3):系図を利用する時には、系図の有効性(無効性)を考慮する。

(その4):簡単にいうと、討論室では、マナーやルールを守る。ということです。
___:これには、「売られたけんかは、絶対に買わないこと」も含まれます。

※:これらを守っていただけるのなら、p君さんを、新しい討論室に招待したいのです。
_:守っていただけないのなら、「出禁」をお伝えしなければ、なりません。

※:折衷案としては、「イエローカード」という手もありますが、
_:これまもで、さんざん、警告は破られてきました。

※: p君さんとは、今回、本気で向かい合って、とことん議論(討論)をしました。
_:p君さん自身が、自説の不備に気付いていただければ、ありがたいのですが。

※:p君さんのお気持ちを、お聞かせ下さい。


  • [115]
  • Re: <p君さんへ(質問その4)>

  • 投稿者:p君
  • 投稿日:2022年 4月20日(水)22時52分26秒
  • 061-113-037-040.jp.fiberbit.net
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>>114
><p君さんへ(質問その4)>:天香語山命(高倉下命)が夢を見たのは、いつの事でしょうか?


天香語山命がいつ夢を見たのかなんて分かりません(笑)

天香語山命は3世紀初頭あたりに腹違いのウマシマジとともに奴国=那古野が語源の名古屋を討ったとみています。
だから米田さんの質問で言えば神武東征の後すぐということになります。

以降、天香語山命の末裔・尾張氏が当地を支配した故、尾張国となった、
またウマシマジも名古屋の味鋺神社の祭神になってます。
その後、二人は北陸に抜け、ウマシマジは出雲へ、天香語山は新潟へ二田物部を伴っていたのでしょう、
今も新潟の柏崎に二田という地名が残り、昭和の宰相・田中角栄を生み出します。

この一連の動きは、石見物部神社社伝に書かれてることですが、私は史実だと思います。
また纏向遺跡の外来搬入土器の多くに東海・北陸山陰が占めることと関係があるとみています。


米田さんが>>107で紹介した系図には、
アジスキタカヒコネ=事代主=大物主=一言主となってますが、昔は同一人物とする見解もあったのでしょうが、私はこの4人は同じ血族ですが全然別人とみてます。

アジスキタカヒコネ=スサノオ=倭国王帥升(2世紀初頭)
事代主=卑弥呼ことヒメ踏鞴五十鈴の父(2世紀後半)
大物主=役職名だが象徴的人物としてアタガタス=モモソヒメの亭主(4世紀初頭)
一言主=蘇我韓子=葛城円(つぶら)の息子か?=雄略の妃・韓媛の兄(5世紀中葉)

雑ですがこんな感じです。

  • [114]
  • <p君さんへ(質問その4)>

  • 投稿者:米田 喜彦
  • 投稿日:2022年 4月20日(水)13時37分32秒
  • fp76ee5538.tkyc003.ap.nuro.jp
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.
<p君さんへ(質問その4)>

※:まず、事実の確認です。
_:先代旧事本紀において、「武(建/健)甕槌神」は、下記の4か所(場面)に登場します。


(その1):巻第一 神代本紀・神代系紀・陰陽本紀
:児は武甕槌之男神(たけみかづちのおのかみ)である[亦の名は建布都神(たけふつのかみ)と言う。
:亦の名は豊布都神(とよふつのかみ)と言う]。


(その2):巻第三 天神本紀
:いよいよ(出雲への)降臨の先駆けとして、武甕槌神と経津主神が選ばれて派遣されます。


(その3):巻第四 地祇本紀

:「(スサノオ)五世孫、建甕尻命(たけみかじりのみこと)
またの名は建甕槌命(たけみかつちのみこと)、または建甕之尾命(たけみかのおのみこと)。
:この命は、伊勢の幡主の娘・賀貝呂姫(がかいろひめ)を妻として、一男をお生みになった。」


(その4):巻第五 天孫本紀です。この巻は、饒速日尊を祖とする物部の系譜となっています。

天香語山命(あまのかごやまのみこと)[天降った後の名は手栗彦命(たくりひこのみこと)。
亦の名は高倉下命(たかくらじのみこと)

:この命は、御祖の天孫の尊に従い、紀伊の国の熊野の邑に天下られた。
:天孫の天饒石国饒石天津火瓊瓊杵尊(あめにぎしくににぎしあまつひこものににぎのみこと)の
:孫の磐余彦尊(いわれひこのみこと)が西宮を発ち自ら水軍を率いて東征を行われたとき
:往々に命令に背く者が蜂のごとく起こり、服従しなかった。
:中州(なかつくに)の豪雄(ひとごのかみ)の長髄彦(ながすねひこ)は兵を整え防ぎ、
:天孫が連戦したが適わなかった。
進んで紀伊の国の熊野の邑に到着した時、悪しき神が毒を吐き人も物も総て萎えてしまった。
:天孫もこれを患い避けるすべを知られなかった。まさに高倉下命がこの邑の中に居て
夜に夢を見て天照大神が武甕槌神(たけみかづちのかみ)に
:「葦原瑞穂国(あしはらみずほのくに)は、なお鎮まらないと聞く。汝は更に往きこれを討ちなさい」
:と言われた。武甕槌神
:「私が行かなくても、私が国を鎮めた時の剣を天下らせれば自ずと治まります」
:と言い、また高倉下命には(云々)。


─事代主命──天日方奇日方命──建飯勝命──建甕尻命(武甕槌神:たけみかづちのかみ)
─事代主命──五十鈴依媛命───安寧天皇──懿徳天皇
─事代主命──五十鈴依媛命───安寧天皇──息石耳命──天豊津媛命(懿徳后)


※:天香語山命(高倉下命)は、夢を見た建甕尻命(武甕槌神)が出て来ます。

※:ここで、質問です。

<p君さんへ(質問その4)>:天香語山命(高倉下命)が夢を見たのは、いつの事でしょうか?

(選択01):出雲の国譲りの時。
(選択02):神武東征の時。(安寧天皇が生まれる前の話)
(選択03):神武東征の後。(建甕尻命や懿徳天皇が生まれた後の話)
(選択04):その他。   (01~03以外の時、p君さんが考える時期)

※:p君さんは、回答として、(選択01)~(選択04)を選んで下さい。

http://


  • [113]
  • Re: <p君さんへ(質問その3)>

  • 投稿者:p君
  • 投稿日:2022年 4月20日(水)12時37分23秒
  • KD027085014081.ppp-bb.dion.ne.jp
  • 返信
 
>>112

> .
> <p君さんへ(質問その3)>
> ┌
> │そしてトヨ津媛の1世代前に別名タケミカヅチと書かれた建甕尻という人物が先代旧事本紀にいる、
> │つまり日本書記では「神代」の話にはされてますが、タケミカヅチとタケミナカタの争いが、(云々)。
> └
>
> ※:「質問の3回目」は、「建甕尻」と「(別名)タケミカヅチ」は、同一人物ですか? です。


先代旧事本紀・巻第四地祇本紀

「(スサノオ)五世孫、建甕尻命たけみかじりのみこと。またの名は建甕槌命たけみかつちのみこと、または建甕之尾命(たけみかのおのみこと)。
この命は、伊勢の幡主の娘・賀貝呂姫がかいろひめを妻として、一男をお生みになった。」



「たけみかつちのみこと」ですから、この人物が建御雷神(たけみかづち=鹿島神)ではないかと仮定してみればよいのです。
この人物こそ、卑弥呼の死後に立ち千人が死ぬ騒乱の男王ではないか、スサノオ5世孫ですから男王にはふさわしい。
そしてその騒乱とはタケミナカタ(=諏訪大神)との争いである、との仮説が成り立ちます。

また天竜川沿いの豊丘村や大鹿村にはタケミナカ=諏訪大神の敗走の痕跡が残り、
タケミナカタは、天竜川沿いを遡上して逃げてきたことが分かります。

長野の千曲川が、高天原の神々の戦いで血が隈なく流れたので血隈川と呼ばれたのを、元明天皇の好字令で千曲川となったのなら、
おそらくタケミナカの軍勢の血が大量に流れた血野が、今の長野県茅野(ちの)市の語源でしょう。

そして時代が卑弥呼が狗奴国と争っていた時代ですから、
つまり狗奴国とは天竜川河口の浜松・磐田周辺、三遠式銅鐸の最終集積地で、やがて久努国造が置かれるこの場所こそ狗奴国であると判明します。






>
> _:「[111] Re: <p君さんへ(質問その2)>」に書かれたこと以外で、
> _:追加で書くことがあったら、教えてください。
> _:(それとも、「p君さんの主張は、二人は同一人物」と理解した米田が、間違っていましたか。)
>
> ※:「質問の2回目」の質問の「追加の質問」です。
>
> ※:「先代旧事本紀」では、天香語山命の子孫で、「天忍男命が天忍人命の弟と子供に存在します。」
>
> ※:この二人の「天忍男命」は、どちらが正しいと思いますか? (又は、どう思いますか。)


今まで考えたことがないので、思いついたらまた書き込みます。

  • [112]
  • <p君さんへ(質問その3)>

  • 投稿者:米田 喜彦
  • 投稿日:2022年 4月20日(水)09時05分33秒
  • fp76ee5538.tkyc003.ap.nuro.jp
  • 返信
 
.
<p君さんへ(質問その3)>

│そしてトヨ津媛の1世代前に別名タケミカヅチと書かれた建甕尻という人物が先代旧事本紀にいる、
│つまり日本書記では「神代」の話にはされてますが、タケミカヅチとタケミナカタの争いが、(云々)。


※:「質問の3回目」は、「建甕尻」と「(別名)タケミカヅチ」は、同一人物ですか? です。

_:「[111] Re: <p君さんへ(質問その2)>」に書かれたこと以外で、
_:追加で書くことがあったら、教えてください。
_:(それとも、「p君さんの主張は、二人は同一人物」と理解した米田が、間違っていましたか。)

※:「質問の2回目」の質問の「追加の質問」です。

※:「先代旧事本紀」では、天香語山命の子孫で、「天忍男命が天忍人命の弟と子供に存在します。」

※:この二人の「天忍男命」は、どちらが正しいと思いますか? (又は、どう思いますか。)


  • [111]
  • Re: <p君さんへ(質問その2)>

  • 投稿者:p君
  • 投稿日:2022年 4月19日(火)13時37分8秒
  • KD027085014081.ppp-bb.dion.ne.jp
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  • 返信
 
>>110
>※:p君さんは、どのような根拠を持って、「先代旧事本紀」を利用し、
>_:どのような根拠で、「和邇氏系図」が、正しい(または、使える)としているのでしょうか。


和邇氏系図は孝昭天皇とその子の天足彦国押人から始まっていますね。
孝昭天皇はもちろん天足彦国押人も日本書紀に和珥臣等始?也と出てきます。

だから崇神天皇を4世紀前半として、その数十年前にトヨがいるはず、
私は神武から崇神まで父子継承がずっと続いたとは思ってませんので、
世代としては崇神の2、3世代前にトヨがいる、
ならば和邇氏系図も含めて孝昭天皇の近くの時代にトヨがいる、そういう意味で和邇氏系図が重要であって、
孝昭天皇の母君のトヨ津媛がトヨではないかという結論に至りました。

トヨ津媛がトヨである根拠は、世代的にも符合すると思いますが、
トヨ津媛の3世代前にヒメ(踏鞴五十鈴)后がいる。
そしてトヨ津媛の1世代前に別名タケミカヅチと書かれた建甕尻という人物が先代旧事本紀にいる、
つまり日本書記では「神代」の話にはされてますが、タケミカヅチとタケミナカタの争いが、
卑弥呼の死後に千人が死ぬ騒乱ではないのかと考えるようになり、
繰り返しますが、タケミカヅチに随伴したと言われる経津主神=香取神が、
以前から疑問であった関東千葉の前期前葉の神門古墳群の主ではないか、
時代は3世紀中頃、ぴたり合うという結論に至りました。

「先代旧事本紀」を利用したのはその別名タケミカヅチが登場するからです。
魏志倭人伝の卑弥呼の死後の騒乱の男王を奇麗に説明できますからね。



│つまり仮説が全部符合するので、やはり和邇氏の系譜に卑弥呼がいた、ということになり、
│和邇氏系図も正しいということになり、金関 恕さんが言われたように(云々)
│ということになり、邪馬台国論争は終結します。

※:p君さんが、ここまで言い切る、その根拠(覚悟)を知りたいのです。
_:普通の人でしたら、私は、そう思う(思いたい)で、書くはずのところです。



スサノオ=倭国王帥升(107年)



事代主
卑弥呼=ヒメ(踏鞴五十鈴)后(200年頃)

卑弥呼=ヒメ(蹈鞴五十鈴)后(247年没) 建甕尻(タケミカヅチ)
トヨ津媛


と、後漢書東夷伝、魏志倭人伝をきれいに説明できることになります。
だから私は邪馬台国論争は終結と言い切ってるわけです。

径百余歩の冢、これは自然丘に少し手を加えたようなものですが、そして隣りに奴婢埋葬痕跡のある場所もヒメ(踏鞴五十鈴)后の住んだ奈良県御所市に見つけています。

  • [110]
  • <p君さんへ(質問その2)>

  • 投稿者:米田 喜彦
  • 投稿日:2022年 4月19日(火)11時45分16秒
  • fp76ee5538.tkyc003.ap.nuro.jp
  • 編集済
  • 返信
 
.
<p君さんへ(質問その2)>

│[105] Re: 古墳時代 奈良北東丘陵地帯、 東大寺山古墳とこの地の後期群集墳の関係は不明
│投稿者:p君 投稿日:2022年 4月18日(月)19時31分17秒
│ >_>_102
│> P君氏は 東大寺山古墳とワニ氏を関係づける説明が出来ていない。

│先代旧事本紀まで考慮すればトヨ津媛の1世代前に別名タケミカヅチ(事代主の曾孫)がおり、
│この人物が卑弥呼の死後に千人が死ぬ騒乱の男王の時代に合う、

│つまり仮説が全部符合するので、やはり和邇氏の系譜に卑弥呼がいた、ということになり、
│和邇氏系図も正しいということになり、


*******************************************

 「和邇氏考」(最新見直し2008.8.29日)(れんだいこのショートメッセージ)

ここで、大和の豪族の一つである和邇氏について確認しておく。
「驚きの和邇氏系図」その他を参照する。
 2008.4.10日、2010.4.17日再編集 れんだいこ拝

和邇(わに)氏は古代大和の有力豪族である。和爾、和珥、丸、丸邇などとも表記される。
五代孝昭の皇子、天足彦国押人(あまたらしひこくにおしひと)を祖とする、とされている。
妃は宇那比姫である。

太田亮(おおたりょう・1884~1956)氏の「日本姓氏家系大辞典」に宇那比媛(うなびひめ)が登場する。
「押媛命(一に忍鹿比売命、母は建田背命の妹、宇那比媛命也)」とある。
宇那比媛を建田背命の妹とするから、尾張氏系図に登場する宇那比姫で間違いない。
尾張氏や同族の海部氏とはまったく異なる和邇氏系図に、宇那比姫命が登場していることになる。
太田氏は、この系図の冒頭で、
「駿河浅間大社(するがせんげんたいしゃ)の大宮司家は和爾部姓にして系図を傳ふ」とする。
太田亮がこの系図の出典を何によったのか不明である。
が、「日本姓氏家系大辞典」に掲載されている和邇部系図は、まちがいなく存在する。

建田背命や宇那比姫(宇那比媛)が、先代旧事本紀、尾張氏系譜と勘注系図、海部氏系譜に
この和邇氏系譜が登場する。和邇氏系譜は尾張氏系譜と密接に関係する。
和邇氏系図は「押媛命(一に忍鹿比売命、母は建田背命の妹、宇那比媛命也)」とする。
尾張氏の建田背命や宇那比姫が和邇氏系譜に登場する。


尾張氏系図には、天忍男(あめのおしお)という人物が親子二世代にわたって登場する。
建田背の妹宇那比姫が天足彦国押人(あまたらしひこくにおしひと)と同世代であることを理由に、
世襲足媛の父親は二世代目の天忍男として作図している。
それでなければ和邇氏系譜と尾張氏系譜の間で整合性がとれないからである。

*******************************************
(以下、ネットから、HISASHIさんの和訳を(一部省略して)利用させていただきます。)

先代旧事本紀035 投稿者:HISASHI  投稿日: 3月12日(金)20時24分19秒
◎本日分
本日は、天香語山命から四世の孫までです。
注意点は、天忍男命が天忍人命の弟と子供に存在しますが、同名別人の扱いです。


│ 孫の天村雲命  この命は、阿い良依姫(あいらよりひめ)を妻とし二男一女を生む。

│ 三世の孫の天忍人命(あめのおしひとのみこと)

│  次に天忍男命(あめのおしおのみこと)
│   この命は、葛木土神剣根命(かつらぎのくにつかみつるぎねのみこと)の娘の
│   賀奈良知姫(かならちひめ)を妻とし二男一女を生む。

│  妹 忍日姫命(おしひめのみこと)


│ 四世の孫の瀛津世襲命(おきつよそのみこと)[尾張連等の先祖。天忍男命の子供]

│  次に建額赤命(たけぬかのみこと)
│  妹 世襲足姫命(よそたらしひめのみこと)
│  次に天忍男命(あめおしおのみこと)    大蛤任部連(おおはまみぶのむらじ)等の先祖

*******************************************

※:二つの引用から、何を云いたいかというと、先人の系図研究者は、頭を抱えているのです。
_:「先代旧事本紀」の中に、「天忍男命」が、二人出てくるのです。

※:ある人は、「先代旧事本紀」そのものを偽書といい、
_:ある人は、「天忍男命」の、どちらかをウソといい、
_:ある人は、(HISASHIさんを含めて)同名別人の扱いです。
_:私は、別の解釈をしています。(今日、主張を変更しました。)

※:系図研究者の間では、「先代旧事本紀」の評価も、
_:「和邇氏系図」が正しいかどうかの評価も定まっておりません。


│先代旧事本紀まで考慮すれば(、云々。)

│つまり仮説が全部符合するので、やはり和邇氏の系譜に(云々、)
│和邇氏系図も正しいということになり、


※:p君さんは、どのような根拠を持って、「先代旧事本紀」を利用し、
_:どのような根拠で、「和邇氏系図」が、正しい(または、使える)としているのでしょうか。


│つまり仮説が全部符合するので、やはり和邇氏の系譜に卑弥呼がいた、ということになり、
│和邇氏系図も正しいということになり、金関 恕さんが言われたように(云々)
│ということになり、邪馬台国論争は終結します。

※:p君さんが、ここまで言い切る、その根拠(覚悟)を知りたいのです。
_:普通の人でしたら、私は、そう思う(思いたい)で、書くはずのところです。

※:私の系図研究は、現在進行形です。
_:「天忍男命」については、今日、この一連の投稿を書いている中で、人物の特定を変更しました。
_:今回、新しい発見がありました。その、自分の発見が正しいかどうかは、不明ですが、
_:それくらい、「天忍男命」や「先代旧事本紀」の利用については、日々、考察をしています。

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  • [109]
  • Re: 卑弥呼の死後に千人が死ぬ騒乱の男王が誰なのか 文献に未提示、判りません

  • 投稿者:p君
  • 投稿日:2022年 4月19日(火)11時10分41秒
  • KD027085014081.ppp-bb.dion.ne.jp
  • 編集済
  • 返信
 
>>106
>  記載されていない人名をどうしたら呈示できるのか?
> 私には 創作能力が沸き立ちません。 提示する蛮勇を持ち合わせていません。


なんで記載されていないと決めつけておられるのでしょうか。

記紀は時代を大きくずらし、卑弥呼の時代に強引に神功皇后を当てはめてますね。

これは7世紀の朝廷が、真の卑弥呼を知っていて、わざと時代を大きくずらし隠したとも考えられますね。
ならば卑弥呼の死後に立った千人が死ぬ騒乱の男王も、時代を大きくずらして記載されていると考えられませんか。

私は神代に設定されているタケミカヅチ(鹿島神)とタケミナカタ(諏訪大神)の争いがその騒乱であろうと思います。

根拠は何度も言いますが、千葉に突然現れる纏向型前期古墳が、タケミカヅチに随伴した物部系の香取神=経津主大神としか考えられない事です。

その千葉に突然現れる纏向型前期古墳=神門古墳群は3世紀中頃、
魏志倭人伝の卑弥呼の死後に立ち、千人が死ぬ騒乱の男王の時代とピタリ合います。




  • [108]
  • Re: <p君さんへ(質問その1)>

  • 投稿者:p君
  • 投稿日:2022年 4月19日(火)10時46分32秒
  • KD027085014081.ppp-bb.dion.ne.jp
  • 返信
 
>>107
> ※:これから、p君さんに、いくつか質問を出していきます。
> _:(ですので、回答をよろしくお願いします。)
>
> <p君さんへ(質問その1)>
>
> ※:投稿番号[0]の記述に関する質問です。
> _:「ヒメ(踏鞴五十鈴)后もトヨ津媛も鴨族。」についてです。
>
> Q:図を見てください。「トヨ津媛も鴨族。」とのことですが、「トヨ津媛は何族になりますか?」
>


それは石見介さんにも言った宗族の話とダブりますが、その当時に天皇、皇室、皇族なる名称はありません。
当時の王家は図の左側、事代主や天日方奇日方(鴨王=かものおおきみ)の系譜であり、
右側の神武以降の系図は王族の系図ではないと考えてます。

米田さんご紹介のその図は、天皇なる称号が出来て、男系男子優先になった7世紀以降の系図ですから、
石見介さんと話題にしていた息石耳(トヨ津媛の父)がどちらに育てられたのか、
どちらの宗族であったのか、
それは明らかに左側の王族側、つまりヌナソコナカツ媛の側であり、安寧というのはたまに通ってくる父親というだけであったろうと思います。

息石耳の子、天トヨ津媛は鴨族であり、鴨の語源は神(かみ)、王(きみ)大王(おおきみ)のきみも「かみ」、
そしてその宗族の名前は「天(あま・あめ)」であろうと思ってます。

ヒメ(踏鞴五十鈴)后の兄である天日方奇日方と天トヨ津媛が同じ「天(あま・あめ)」であるのはそういう事だと思ってます。

  • [107]
  • <p君さんへ(質問その1)>

  • 投稿者:米田 喜彦
  • 投稿日:2022年 4月19日(火)07時55分54秒
  • fp76ee5538.tkyc003.ap.nuro.jp
  • 返信
 
※:これから、p君さんに、いくつか質問を出していきます。
_:(ですので、回答をよろしくお願いします。)

<p君さんへ(質問その1)>

※:投稿番号[0]の記述に関する質問です。
_:「ヒメ(踏鞴五十鈴)后もトヨ津媛も鴨族。」についてです。

Q:図を見てください。「トヨ津媛も鴨族。」とのことですが、「トヨ津媛は何族になりますか?」


  • [106]
  • 卑弥呼の死後に千人が死ぬ騒乱の男王が誰なのか 文献に未提示、判りません

  • 投稿者:いつかコウヘイ。  
  • 投稿日:2022年 4月19日(火)00時31分6秒
  • kc220-213-216-247.ccnw.ne.jp
  • 返信
 
 記載されていない人名をどうしたら呈示できるのか?
私には 創作能力が沸き立ちません。 提示する蛮勇を持ち合わせていません。

 日本最大の倭人同士の兵卒数が対峙した関ケ原、相当数の兵卒がなくなっていますが、21世紀 パールハーバーのように、判る限りの戦死人名が石碑化。 関ケ原の戦いでは そのように呈示された場所が見当たりません。
原始時代(倭人が文字を使いこなせていなかった時期)の1000名の死者、もし場所が判っているとしたら p氏以外の人も そのように言っているのでは?
人と神様が 同一視できる方しか そのような蛮勇はできないでしょう。

卑弥呼の墓は たぶん存在し 大陸からの情報。

高天原という地名は 神話の中の地名。 中世神話の雷が関与。
アマは出てくるが 古事記の高天原は 後発。



  • [105]
  • Re: 古墳時代 奈良北東丘陵地帯、 東大寺山古墳とこの地の後期群集墳の関係は不明  

  • 投稿者:p君
  • 投稿日:2022年 4月18日(月)19時31分17秒
  • 061-113-037-040.jp.fiberbit.net
  • 編集済
  • 返信
 
>>102
>  P君氏は 東大寺山古墳とワニ氏を関係づける説明が出来ていない。

古代史解明は仮説を組み立てることだと思われます。

卑弥呼の五尺刀といわれる中平銘鉄刀が出た東大寺山古墳は天理市和邇町の近く、
つまり和邇氏の領域にあるので、
和邇氏の墓ではないかという仮説が成り立ち、、
富士宮市浅間大社の和邇氏系図に卑弥呼もトヨもいるのではないかという仮説が成り立ち、
和邇氏の祖・孝昭天皇の母君がトヨ津媛、その3世代前にヒメ(踏鞴五十鈴)后、
先代旧事本紀まで考慮すればトヨ津媛の1世代前に別名タケミカヅチ(事代主の曾孫)がおり、
この人物が卑弥呼の死後に千人が死ぬ騒乱の男王の時代に合う、
つまり仮説が全部符合するので、やはり和邇氏の系譜に卑弥呼がいた、ということになり、
和邇氏系図も正しいということになり、金関 恕さんが言われたように中平銘鉄刀は卑弥呼の五尺刀の一口ということになり、邪馬台国論争は終結します。

  • [104]
  • Re: 香取宮は 神門古墓より新しい  

  • 投稿者:p君
  • 投稿日:2022年 4月18日(月)19時17分48秒
  • 061-113-037-040.jp.fiberbit.net
  • 返信
 
>>103
>  谷川健一の日本の神々
> 香取宮が記載、
>
> p君氏は現地調査して、谷川氏の見解を否定できる情報を入手しているのだろうか?
>
> 神社建築・現地の建物の最古は、律令期を潜れない。
> 鳥居の方位も古式を示さない。
>
> 香取宮は 千葉・神門の墳墓とは関係のない時期の神社。
>
> p説【 タケミカヅチに随伴した径津主神こと香取神は 千葉の神門古墳群の主ではないか 】は限りなくフェイクに近い。


後世の人間が、古人を祀ったのであり、祀られている本人と神社創建が同じ時代である必要はありません。

それより、卑弥呼の死後に千人が死ぬ騒乱の男王が誰なのかお答え願いませんか。

その男王とはタケミカヅチであり、
神門古墳群の主はタケミカヅチに随伴した経津主大神=香取神以外にないでしょう。
時代も3世紀中頃、あるいは前半という考古学的見地に合う。

なぜ古墳時代前期初頭の関東の千葉に、纏向型前方後円墳が突如として現れるのか、
かなり前からの疑問でしたが、すっきり解けました。

  • [103]
  • 香取宮は 神門古墓より新しい  

  • 投稿者:いつかコウヘイ
  • 投稿日:2022年 4月17日(日)11時03分18秒
  • kc220-213-216-247.ccnw.ne.jp
  • 編集済
  • 返信
 
 谷川健一の日本の神々
香取宮が記載、

p君氏は現地調査して、谷川氏の見解を否定できる情報を入手しているのだろうか?

神社建築・現地の建物の最古は、律令期を潜れない。
鳥居の方位も古式を示さない。

香取宮は 千葉・神門の墳墓とは関係のない時期の神社。

p説【 タケミカヅチに随伴した径津主神こと香取神は 千葉の神門古墳群の主ではないか 】は限りなくフェイクに近い。 

  • [102]
  • 古墳時代 奈良北東丘陵地帯、 東大寺山古墳とこの地の後期群集墳の関係は不明  

  • 投稿者:いつかコウヘイ
  • 投稿日:2022年 4月16日(土)21時21分25秒
  • kc220-213-216-247.ccnw.ne.jp
  • 編集済
  • 返信
 
 律令期の式内社に記された古代の地名が前期古墳時代からのもの、という証明ができないので、奈良の東大寺山古墳の被葬者が和邇氏の系譜なのか、それを証明する手立てがないのでは?

  P君氏は 東大寺山古墳とワニ氏を関係づける説明が出来ていない。
古墳時代 群集墳を形成する後期古墳の地区、一番最初の墓が最も大きく、始祖墓という概念形成。
そして、古墳時代の支配者は 庶民に移動を強いる、徒民政策の実行者層。ヒレ付き楕円埴輪の分布域は 移動する。 家型埴輪や船形埴輪も移動する。

律令期 税金が米になり、庶民を土地に縛り付ける方針へ転換。



 古墳時代後期 後の律令期の和邇氏と多分系譜的つながりがあるであろう、後期古墳の分布、そこまでは言えるのかもしれないが、後期古墳以前の東大寺山古墳が 始祖墓なのかどうか、判っていないのでは?
  出土品の性格からは 後期古墳と東大寺山古墳の間に時間差。

 私は 前期古墳的副葬品の古墳が 後期古墳の始祖墓という事例を知らない。
ほとんどの地区、古墳時代は 前期古墳と後期古墳、中間に時間的断絶を感知。






  • [101]
  • Re:  ヒミコ期以前の ワニ氏の系図 Pさん提示して  

  • 投稿者:p君
  • 投稿日:2022年 4月15日(金)16時44分12秒
  • KD027085014081.ppp-bb.dion.ne.jp
  • 返信
 
>>100
>  和邇氏の系図 本物
> (時期が合っている、竹簡か金石文か偶然の産物の皮か樹皮繊維に記された系図)
>
> いつになっったら 提出して頂けるのですか?  p君氏さん。
> x
> 富士宮の焼きソバは 美味しい店と そうでもない店、と まずい店。
> 神社の文献や来歴 廃仏稀釈の影響で 取り扱い注意。
> 富士宮神社の地下には江戸時代の富士山噴火で形成された火山灰が埋没している。 神社はその上に建っている。
>  なぜ 紙製の来歴・系図?      漢字の本場 中国では 竹簡で出土する。


なんでそんなもの出さないといけないのですか、何言っておられるのか。

和邇氏の領域の東大寺山古墳から、卑弥呼の五尺刀ではないかと言われる鉄刀が発掘された。
ならば和邇氏の系譜に卑弥呼がいるのではないかという仮説が成り立つ。
そして富士山本宮浅間大社の和邇氏系図は孝昭天皇から始まっています。

日本書紀を照らし合わせると、孝昭天皇のお母さんは天トヨ津媛。
この女性が魏志倭人伝に出てくる卑弥呼の死後に13歳で王位に即位した台与ではないかとの仮説が成り立つ。
ならば卑弥呼と台与の年齢差から天トヨ津媛の約3世代前に、
卑弥呼(Bei mei hu)=比咩后(Bi mie hou)、比売后〈Bi mai hou〉がいるのではないかとの仮説が成り立つ。
天トヨ津媛の約3世代前にヒメ(踏鞴五十鈴)后がいる。

また先代旧事本紀を照らし合わせると天トヨ津媛の約1世代前に建甕尻、別名タケミカヅチがいる。
卑弥呼の死後に立つ千人が死ぬ騒乱の男王はタケミカヅチではないか。
タケミカヅチに随伴した径津主神こと香取神は千葉の神門古墳群の主ではないか。
神門古墳群の時代は3世紀半ば、考古学的にもぴたり符合する。

と、ここまで判明しています。
自分の説を全く構築していないあなたにイチャモンつけられる要素などは何もない。

>

  • [100]
  •  ヒミコ期以前の ワニ氏の系図 Pさん提示して  

  • 投稿者:いつかコウヘイ
  • 投稿日:2022年 4月15日(金)15時44分1秒
  • kc220-213-216-247.ccnw.ne.jp
  • 返信
 
 和邇氏の系図 本物
(時期が合っている、竹簡か金石文か偶然の産物の皮か樹皮繊維に記された系図)

いつになっったら 提出して頂けるのですか?  p君氏さん。

富士宮の焼きソバは 美味しい店と そうでもない店、と まずい店。
神社の文献や来歴 廃仏稀釈の影響で 取り扱い注意。
富士宮神社の地下には江戸時代の富士山噴火で形成された火山灰が埋没している。 神社はその上に建っている。
 なぜ 紙製の来歴・系図?      漢字の本場 中国では 竹簡で出土する。


  • [99]
  • 保管用 チェック

  • 投稿者:米田 喜彦
  • 投稿日:2022年 4月15日(金)09時07分12秒
  • fp76ee5538.tkyc003.ap.nuro.jp
  • 返信
 
2022-04-15

  • [98]
  • Re: 橿原考古・誰が 神武期の土器を見つけているのか?

  • 投稿者:p君
  • 投稿日:2022年 4月14日(木)19時21分20秒
  • 061-113-037-040.jp.fiberbit.net
  • 返信
 
>>97
>   p説
> 【 神武時代の土器は庄内式土器でしょうね。名柄遺跡の発掘調査で見つかっていることを少し前に橿原考古研の発掘報告書とともに示しましたがお忘れですか。】
>
> 根拠を説明出来ずに 何度も 東大寺ナンチャラへ誘導したり、デタラメを提示 いい加減疲れます。
>
> 橿原考古・誰が 神武期の土器を見つけてのか?
>


神武が平均在位の計算から、あるいは和邇氏の系図からも2世紀末になるので、それは庄内期です。
名柄遺跡の発掘調査でその庄内期の土器が見つかっている報告書を提示しましたが、忘れたのですか、
何度も同じことをさせないでください。



>
> 布留式の土器を眼の前に突き付けられて ある程度 時代順に並べれる人がその道の一応専門家。
>
> 布留式の土器が出る遺跡で その遺跡から 同時代の文献資料は出土していない。
>
> 神武/庄内式?。 庄内式土器の生産地は限定される。生駒西麓。
>
> 考古は考古 文献は文献で P氏が考えないので 神武の墓が 判った気がしているだけ
>
>


何を言ってるのかさっぱりわかりません、少し書き込みを休まれたらいかがですか。

安本美典さんが庄内土器(土師器)を物部土器と言っておられましたが賛成です。
庄内土器の命名元である豊中市庄内に穂積という地名を発見しました。
穂積は典型的物部の名称ですからね。
ただし安本さんは例によって庄内式土器の発祥は九州だと言っておられますが、
庄内式土器は畿内土器ですからそれは違うと思います。

>
>

  • [97]
  • 橿原考古・誰が 神武期の土器を見つけているのか?

  • 投稿者:いつかコウヘイ
  • 投稿日:2022年 4月14日(木)11時56分21秒
  • kc220-213-216-247.ccnw.ne.jp
  • 編集済
  • 返信
 
  p説
【 神武時代の土器は庄内式土器でしょうね。名柄遺跡の発掘調査で見つかっていることを少し前に橿原考古研の発掘報告書とともに示しましたがお忘れですか。】

根拠を説明出来ずに 何度も 東大寺ナンチャラへ誘導したり、デタラメを提示 いい加減疲れます。

橿原考古・誰が 神武期の土器を見つけてのか?


布留式の土器を眼の前に突き付けられて ある程度 時代順に並べれる人がその道の一応専門家。

布留式の土器が出る遺跡で その遺跡から 同時代の文献資料は出土していない。

神武/庄内式?。 庄内式土器の生産地は限定される。生駒西麓。

考古は考古 文献は文献で P氏が考えないので 神武の墓が 判った気がしているだけ





  • [96]
  • Re: ソシモリを半島の人々に問いただしても ほとんどの人は知らないのでは?

  • 投稿者:p君
  • 投稿日:2022年 4月11日(月)18時16分45秒
  • 061-113-037-040.jp.fiberbit.net
  • 返信
 
>>95

> p説【 神武から6代孝安まで、その住処=宮が御所市である 】
>
> 葛城~御所市の埋文担当者さんは 王都らしきものを検出して、時期が初代~6代の天皇が都を構えた、と誰か発表しているのでしようか?
> 神武時代の土器 判明しているのでしょうか?
>   p君氏は 神武期の土器をご承知のようなので、 問い合わせ それは 何式?  薄手それとも厚手?


神武時代の土器は庄内式土器でしょうね。
名柄遺跡の発掘調査で見つかっていることを少し前に橿原考古研の発掘報告書とともに示しましたがお忘れですか。
何度も貼りつけるのは疲れるので一度で覚えてください。



>

>
> また帥升=スサノオ このスサノオ期の土器も その弥生式土器の形式も教えてください。


畿内Ⅴだと思いますが。


>
>
>
> さて 本題 なぜ6代 限定 ?
> (米田さんも6代を ダブりと表現) 偶然の一致ではないようなので?


6代考安までが御所市、あるいは御所市を中心とする葛城地域ですね。
ただしその宮の遺跡はみつかっておりません。

  • [95]
  • ソシモリを半島の人々に問いただしても ほとんどの人は知らないのでは?

  • 投稿者:いつかコウヘイ
  • 投稿日:2022年 4月10日(日)22時09分9秒
  • kc220-213-216-247.ccnw.ne.jp
  • 編集済
  • 返信
 
ソシモリ なぜか半島の言語・単語。

中世の偽書を生業とする一部の神社関係者が、三国史記を参照に 京都の神社のランクアップを目的に 皇室の祖先としてのスサノオの神格を利用して 新羅と結びつけた。

目的は明確 三国史記の新羅建国の時期(こちらもフェイク)への対抗意識。

 桓武期 日本紀が焚書され 一部の神社関係者の手で 日本書紀という書物へ歴史改変された。と私は想定している。


 三井寺ホームぺージ > 京都 新羅神社考の 説明文の抜き書き
【 日本古来の高い 木や森に神が宿る信仰が、渡来の各種の信仰(仏教、道教、 陰陽道など)と混ざり合って本来は同じではないものが、神 仏習合の影響もあり、素戔嗚尊や牛頭天王、武塔天神などが 同一神となり、疫を除く為の祇園信仰となったようである。 】


p説【 神武から6代孝安まで、その住処=宮が御所市である 】

葛城~御所市の埋文担当者さんは 王都らしきものを検出して、時期が初代~6代の天皇が都を構えた、と誰か発表しているのでしようか?
神武時代の土器 判明しているのでしょうか?

  p君氏は 神武期の土器をご承知のようなので、 問い合わせ それは 何式?  薄手それとも厚手?

また帥升=スサノオ このスサノオ期の土器も その弥生式土器の形式も教えてください。



さて 本題 なぜ6代 限定 ?
(米田さんも6代を ダブりと表現) 偶然の一致ではないようなので?
 

  • [94]
  • Re: 珍説  P君説 神様は 実在の人間、ホンマかいな?

  • 投稿者:p君
  • 投稿日:2022年 4月 8日(金)09時52分54秒
  • KD027085014081.ppp-bb.dion.ne.jp
  • 返信
 
>>93
> P君 珍説の事例
> 【 奈良県御所市 大和朝廷の発祥地なので間違いはなかろうと思われます 】
> 【 卑弥呼は ヒメ(踏鞴五十鈴)后 】
> 【 西日本全体にわたる倭国=青銅器文化の地域の首長であって、住処は今の奈良県御所市です】
>
> 長野県の銅鐸はどの様な位置づけ?   どの文献にヒミコは踏鞴五十鈴と同一人物?
> P氏以外で 御所市はヒミコの地?  いかなる裏付け?


神武から6代孝安まで、その住処=宮が御所市であることは認められますか?
ということは彼らが大王ではなくとも、奈良県御所市が何ほどか今の東京都千代田区のような、
倭国の中枢地であったことが分かります。

問題は神武が大和にくる以前から、当地に王権が存在していただろうことです。
当時に今でいう皇室(こうしつ)という呼称はない、王族(おうぞく)という呼称もない、
あったのは神々(かみがみ)でしょう。
では神々はどこにいたか。
高天原ですね。
その高天原と呼ばれた場所が日本で唯一、奈良県御所市の金剛山中腹にある。
御所市高天です。

そして魏志倭人伝に書かれた卑弥呼の墓もそこにあるという事で、このスレを立ててます。
アカデミズムでは卑弥呼墓が箸墓古墳かどうか、その1点に集中してるようですが、
奴婢殉葬痕跡のない箸墓など、卑弥呼の墓であるわけがありません。


>
> 【全然 人の話を理解していない】ではなくて P氏説 根拠の提示が出来ていない、非科学的 と指摘しているだけ。
>
> 高天原を 世界中で探す 志向/思考が無い。
> 民族学/文化人類学的 思考力に欠けて、日本・中世製の偽証が混入した古代史風の書物に惑わされている。


全く自分の説を構築できていないあなたに「 民族学/文化人類学的 思考力に欠けて」など言われる筋合いはない。
民族学/文化人類学的思考力に欠けているのはあなただ。

  • [93]
  • 珍説  P君説 神様は 実在の人間、ホンマかいな?

  • 投稿者:いつかコウヘイ
  • 投稿日:2022年 4月 8日(金)09時28分4秒
  • kc220-213-216-247.ccnw.ne.jp
  • 返信
 
P君 珍説の事例
【 奈良県御所市 大和朝廷の発祥地なので間違いはなかろうと思われます 】
【 卑弥呼は ヒメ(踏鞴五十鈴)后 】
【 西日本全体にわたる倭国=青銅器文化の地域の首長であって、住処は今の奈良県御所市です】

長野県の銅鐸はどの様な位置づけ?   どの文献にヒミコは踏鞴五十鈴と同一人物?
P氏以外で 御所市はヒミコの地?  いかなる裏付け?

【全然 人の話を理解していない】ではなくて P氏説 根拠の提示が出来ていない、非科学的 と指摘しているだけ。

高天原を 世界中で探す 志向/思考が無い。
民族学/文化人類学的 思考力に欠けて、日本・中世製の偽証が混入した古代史風の書物に惑わされている。

  • [92]
  • Re: 100才 越え 一人だけではない。 フェイクしていますと 教えている。

  • 投稿者:p君
  • 投稿日:2022年 4月 7日(木)23時05分35秒
  • KD027085014081.ppp-bb.dion.ne.jp
  • 編集済
  • 返信
 
>>91
> p君説【 それゆえ、そのあとの天皇もことごとく100歳を超えるようになった、というのが私の説 】
>
> 説明が説明になっていない。
>
> BC660年 この時の天皇名は誰?
> この年代はフェイク、本当はAD107年?
> スサノオは神様ではなくて、実在の帥升という人間。v
>  この論理が通るのであれば ゼウスも実在、オリンポスも実在と言う人が出て来る。
> アマテラスも 実在という説も言えてしまう。
>
> p君氏 なぜ 神様と 人間が 区別できないのか 理解不能。



この時代に「天皇」がいたなんて一言も言ってません。
あとスサノオは帥升であって実在の人間だと思います。
「神」という概念をキリスト教のような創造主ととらえておられるから話がおかしくなるのであって、
古代の日本では主や首長が神だと思われます。
王(きみ)大王(おおきみ)、この「きみ」の語源は神であろうと思われます。

>

>
> 少なくとも 古代人は区別して記載している。
>
> 20世紀中葉 昭和天皇は 現人神から 人間宣言済み。 天皇は神様ではない。
>
>
> ヒミコ248 この時の天皇は誰?
>            この天皇の支配範囲?
>            ヒミコは どこの首長?だった


上記、この時代に天皇なんていないし、卑弥呼はヒメ(踏鞴五十鈴)后であって、
西日本全体にわたる倭国=青銅器文化の地域の首長であって、住処は今の奈良県御所市です。
奈良県御所市大和朝廷の発祥地なので間違いはなかろうと思われます。
全然人の話を理解していないで書き込むのはやめてください。


>
> 鬼神パワーのある人が ヒミコになれる条件とすれば AD107年からAD248年 ヒミコの先祖がスサノオ、中間の150年の家長名にp君説は不足している。
> ハツク二シラスメは一人のはず。  スサノオは 神武の先祖?。  グチャグチャ。


グチャグチャなのはあなたです。


  • [91]
  • 100才 越え 一人だけではない。 フェイクしていますと 教えている。

  • 投稿者:いつかコウヘイ
  • 投稿日:2022年 4月 6日(水)22時49分14秒
  • kc220-213-216-247.ccnw.ne.jp
  • 返信
 
p君説【 それゆえ、そのあとの天皇もことごとく100歳を超えるようになった、というのが私の説 】

説明が説明になっていない。

BC660年 この時の天皇名は誰?
この年代はフェイク、本当はAD107年?
スサノオは神様ではなくて、実在の帥升という人間。

 この論理が通るのであれば ゼウスも実在、オリンポスも実在と言う人が出て来る。
アマテラスも 実在という説も言えてしまう。

p君氏 なぜ 神様と 人間が 区別できないのか 理解不能。

少なくとも 古代人は区別して記載している。

20世紀中葉 昭和天皇は 現人神から 人間宣言済み。 天皇は神様ではない。


ヒミコ248 この時の天皇は誰?
           この天皇の支配範囲?
           ヒミコは どこの首長?だった

鬼神パワーのある人が ヒミコになれる条件とすれば AD107年からAD248年 ヒミコの先祖がスサノオ、中間の150年の家長名にp君説は不足している。
ハツク二シラスメは一人のはず。  スサノオは 神武の先祖?。  グチャグチャ。


  • [90]
  • Re: 帝紀や旧辞は 古墳時代後期以降の生活しか描けていないのでは?

  • 投稿者:p君
  • 投稿日:2022年 4月 6日(水)21時29分49秒
  • zz2015426778D2FA9E88.userreverse.dion.ne.jp
  • 返信
 
>>89
> p説
> 【 卑弥呼の時代を神武東征紀で覆い隠し 】はたぶん正しい。
> アルファ群文官が中国史書の卑弥呼を知らないはずはないと私も思います。
>
>  相違点は 私は崇神が 卑弥呼期に近く
>       神武は β群支配者の初現 時期は4世紀末。


なぜ神武が4世紀末になるのか、さっぱりわかりません。


>
>  一方、p説では 卑弥呼期に 事代主神もアマテラスもスサノオも神武も 重複。
> と読み込んでいたところ、また疑問? 帥升 いつの間にかp説ではスサノオ?
>
>   西暦107年頃 アマテラスとスサノオという神様がいて スサノオは人になって、帥升と名乗った。  神様と実在の人間が P君脳内ではグチャグチャの模様。
>

私は何年も前から「帥升=スサノオ説」を言い続けています。
日本の歴史の曙が、AD107年の帥升=スサノオによる後漢皇帝・安帝への謁見要請=土下座から始まる。
こんな屈辱的なことを国史に書けるわけがない。
だから基点になる100年後の真の卑弥呼の時代を大きくずらし、BC7世紀に設定、さらに神武東征紀で男王国のように覆い隠した。
それゆえ、そのあとの天皇もことごとく100歳を超えるようになった、というのが私の説です。


>
>

  • [89]
  • 帝紀や旧辞は 古墳時代後期以降の生活しか描けていないのでは?

  • 投稿者:いつかコウヘイ。  
  • 投稿日:2022年 4月 5日(火)21時35分28秒
  • kc220-213-216-247.ccnw.ne.jp
  • 返信
 
p説
【 卑弥呼の時代を神武東征紀で覆い隠し 】はたぶん正しい。
アルファ群文官が中国史書の卑弥呼を知らないはずはないと私も思います。

 相違点は 私は崇神が 卑弥呼期に近く
      神武は β群支配者の初現 時期は4世紀末。

 一方、p説では 卑弥呼期に 事代主神もアマテラスもスサノオも神武も 重複。
と読み込んでいたところ、また疑問? 帥升 いつの間にかp説ではスサノオ?

  西暦107年頃 アマテラスとスサノオという神様がいて スサノオは人になって、帥升と名乗った。  神様と実在の人間が P君脳内ではグチャグチャの模様。




  • [88]
  • Re: 東海地区にある 完本 古事記 出現時期はいつか p君氏 調べてください 

  • 投稿者:p君
  • 投稿日:2022年 4月 5日(火)20時50分14秒
  • 218.225.112.158
  • 返信
 
>>87
>   古事記の価値は 古代の8音声言語が 上手に投影されている点。
> 序文は 偽書そのもの。 残りの文面は 要 取り扱い注意。
>
> 中世の神様が 乱入しているのでは?
>
> 弥生時代末という原始時代の出来事を 倭人は文面として 倭人自らが文献を残しているのなら、そして、古事記内の神様の名前と適合していれは P説は成り立ちますが、なぜ 中世製の神様とp君氏がつきあえうのか とても疑問。
>
>  竹簡や皮や石などへの文字を 提示できないのが 次の古墳時代。
> ヒミコの配下は 漢字という文字を使い 魏や晋とコミュニケーションできた。
> ヒミコ期、古墳時代 庶民は文盲、エジプトの庶民と違い 落書きは残せていない。
>
> 古事記を史料批判しないので 中世人にだまされているのでは?


記紀編纂時まで帝紀や旧辞が残ってましたね。
そこには神武の時代もスサノオの時代も大きくずらすことのない通常の時代が書かれていたはず。
しかしそれでは倭国王帥升=スサノオという屈辱的史実が日本の歴史の曙になってしまう。

だから記紀編纂の際に時代を大きく変え、卑弥呼の時代を神武東征紀で覆い隠し、
帝紀と旧辞を散逸したという理由で実質「焚書」にしたのだと思われます

今でいえば国立国会図書館にあるような書物が散逸するわけなどありませんからね。
  

  • [87]
  • 東海地区にある 完本 古事記 出現時期はいつか p君氏 調べてください 

  • 投稿者:いつかコウヘイ
  • 投稿日:2022年 4月 5日(火)17時42分56秒
  • kc220-213-216-247.ccnw.ne.jp
  • 返信
 
  古事記の価値は 古代の8音声言語が 上手に投影されている点。
序文は 偽書そのもの。 残りの文面は 要 取り扱い注意。

中世の神様が 乱入しているのでは?

弥生時代末という原始時代の出来事を 倭人は文面として 倭人自らが文献を残しているのなら、そして、古事記内の神様の名前と適合していれは P説は成り立ちますが、なぜ 中世製の神様とp君氏がつきあえうのか とても疑問。

 竹簡や皮や石などへの文字を 提示できないのが 次の古墳時代。
ヒミコの配下は 漢字という文字を使い 魏や晋とコミュニケーションできた。
ヒミコ期、古墳時代 庶民は文盲、エジプトの庶民と違い 落書きは残せていない。

古事記を史料批判しないので 中世人にだまされているのでは?   


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