【重要】teacup. byGMOのサービス終了について


  • [0]
  • 日・朝語の関係

  • 投稿者:福島 雅彦
  • 投稿日:2021年 8月 8日(日)13時48分0秒
  • p2045-ipad31fukuokachu.fukuoka.ocn.ne.jp
 
※「稲(いね)」=漢音は「とう」。

“?-???”(id-dda-reu-da)=「(引き)続く」の語幹“?-”

 と“?-?”(nae-da)=「生ずる」の合成で“?-?”(id-nae)=「続けて生える」。

 稲刈りの切り株からは、蘖(ひこばえ)が芽吹く=「続けて生える」である。

*文字化けは「古代倭語(方言と朝鮮語に片鱗を留める)」のハングル表記。

 <思いやりのあるコミュニティ宣言>
 teacup.掲示板は、皆様の権利を守りながら、思いやり、温かみのあるコミュニティづくりを応援します。
 いつもご協力いただきありがとうございます。

投稿者
題名
*内容 入力補助画像・ファイル<IMG>タグが利用可能です。(詳細)
URL
sage

  • [40]
  • 保管用 チェック

  • 投稿者:米田 喜彦
  • 投稿日:2022年 3月29日(火)15時57分27秒
  • fp76ee5538.tkyc003.ap.nuro.jp
  • 返信
 
2022-03-29

  • [39]
  • 若松、戸畑とは…

  • 投稿者:福島雅彦
  • 投稿日:2022年 3月27日(日)13時24分38秒
  • p2186-ipad01fukuokachu.fukuoka.ocn.ne.jp
  • 編集済
  • 返信
 
※「川・河」が「かわ」なのは…

*「川」は字音「セン」・「河」は漢字音「カ」呉音「ガ」。朝鮮語“?”(gang)。

・古代には道路は整備されていない、河川は高速道路なみの感覚であろう。

“??-??”(ka-tta-wa-tta)「行ったり来たり」する所、の意の縮約形。

筑後川の畔の朝倉市には、「恵蘇宿八幡宮」がある。

「ゑそンしゅく八幡」=「曳船宿」の訛り。日田市にも「余所八幡(えそ)八幡」があり、同伝。

下りは流れに乗る、登りは舟を曳いて往来の名残り。

倒置形の「若・稚・幼」も、“??-??”(wa-tta-ka-tta)「行ったり来たり」の意で、歴代天皇の和風諡号にも。

朝鮮半島の「倭地」=「拘邪韓國」、「大伽耶國」、「彌烏邪馬國」と行ったり来たり。

∴「若松」=半島「倭地」と行ったり来たりの無事を祀る処、の意。

*「戸畑」=“?-??”(tto-bata)=「又・海」である。

・一旦上陸して陸路を南下すると再び「海」に出る=洞海湾、の意。

・「洞海」=“?-??”と同義、“bata”を「倭語」で海、としたもの。

*文字化けは「古代倭語(方言と朝鮮語に片鱗を留める)」のハングル表記。


  • [38]
  • 久留米の語源

  • 投稿者:福島雅彦
  • 投稿日:2022年 3月22日(火)14時11分17秒
  • p2170-ipad104fukuokachu.fukuoka.ocn.ne.jp
  • 返信
 
※「うきは市」~久留米市に連なる水縄連山(耳納山地)がある。

*東西≒25㎞の一重の単山。

・山頂は鋸の歯状(千穂)、山腹は下り尾根と谷沢が千筋(櫛触る嶽)。

・「高千穂の櫛触嶽」でもある。

・古称に蓑尾山=水縄山=水が滴る水源の山。

・「高良山」の別稱「高牟礼山」=「“??-?”(taka-mul)山」=「集る水の山」。

※「彌烏邪馬國」も「水生山國」=「水を生む山」の「倭語」。

・『韓傳』に記載されているが、元「倭地」=「拘邪韓國」か。

・「大伽耶國」建国王「伊珍阿岐王」=「伊奘諾尊」で「倭人(神)」。

・半島と列島に同じ地名。

・両方の「みの(お)やま」に区別をつけるために、定冠詞“???”(ku-reum-e)=「雲の…」を付けたのが「久留米」の語源。

・水縄山の山頂の小峰には「白雲台、紫雲台、凌雲台、碧雲台、渓雲台」がある。

・春夏秋冬朝昼晩照っても降っても雲が沸く。

・彌烏邪馬國が在ったと比定する「高霊郡」は「高良山」と対応する。

・そこの地名に「箕山(きざん)里(り)」があるが「倭語」の「箕山(みのやま)」と同義であり、「星山面」ともあるのは「星野村」と対応する。

*文字化けは「古代倭語(方言と朝鮮語に片鱗を留める)」のハングル表記。


  • [37]
  • 韓国の首都“seoul”は語源不明である!

  • 投稿者:福島雅彦
  • 投稿日:2022年 3月20日(日)12時51分42秒
  • p4222-ipad110fukuokachu.fukuoka.ocn.ne.jp
  • 編集済
  • 返信
 
福島雅彦が、其の謎も解いた!

※「高天原」=「うきは市」=「倭國」の首都である。

「高天原」の東西の入り口に「三春原(うらせばる)」と「牛鳴(うしなき)峠(とうげ)」がある。

・「三春原」は「うらせばる」と読む。東側にあるが普通では読めない。

“??-?”(ul-soe-beol)=「鳴く鉄・原」(直訳)=鉄が唸る原(意訳)。

・「牛鳴峠」=“??”(soe-ul)峠=「鉄鳴く峠」=鉄が唸る峠。鉄⇔牛は同音。

・“??”(ul-soe)=「五月蝿い」の語源か。製鉄の音は「ウルセェ!」。

・「高天原」には、東多々羅、南多々羅、西多々羅と製鉄地名がある。

方位から見て北風自然送風の製鉄炉か。「素盞嗚尊」追放前の製鉄集団跡か。

・「高天原」には「諏訪神社」=「“?-?”(soe-wa)鉄来る神社」がある。

古代に在っては、鉄を制する者が国を制した。「高天原」の東西の入り口が製鉄絡みの地名である。

・韓国の首都の“??”(seoul)はこれの訛りを疑う。

*文字化けは「古代倭語(方言と朝鮮語に片鱗を留める)」のハングル表記。


  • [36]
  • 男性器

  • 投稿者:福島雅彦
  • 投稿日:2022年 3月14日(月)21時59分2秒
  • p3206-ipad12fukuokachu.fukuoka.ocn.ne.jp
  • 返信
 
「まんこ」、「めこ」の女陰が出た序でに男性用語も…。

*「チンチン」=“??-??”(ding-ding-ha-da)=力が強い、ぴんと張っている、しっかり安定している。(語頭清音化)

・“??”(dding-dding)=ぴんと堅く張って膨れているさま、ぴんぴん。

・“??”(ting-ting)=膨れ上がったさま。(『民衆書林・韓日辞典』)

成人男性器の状態を遠まわしに表現していて猥褻語ではなかったのである。

・逆に幼児の方が「ちんぽ」であったのが忘れ去られている。

 上記の“?”(ting)「甫」(ポ=初め)=力強くなり始め=幼児の性器。

*文字化けは「古代倭語(方言と朝鮮語に片鱗を留める)」のハングル表記。

  • [35]
  • 女性器

  • 投稿者:福島雅彦
  • 投稿日:2022年 3月 8日(火)16時28分34秒
  • p3173-ipad01fukuokachu.fukuoka.ocn.ne.jp
  • 返信
 
④「豆(まめ)」
本来の漢音は「トゥ」呉音「ズ」。象形では頭の脹みと脚が長い、高坏に象る。

※“?”(mæ)=山の古語的表現(民衆書林・韓日辞典)。山は地上に突き出ている。

・ハングルの成字から(mæ)の二重母音「ま・め」の中間音。即ち、「ま=め」の意。

「ま・み・む・め・も」の「ま」行は「脹らんでいる物・出っ張っている物」の意。

・「ま」=「眼(ま・なこ)」=「な」は格助詞。「こ」=“?”(god)=処。

          ※「まなこ」=膨れている所。格助詞が「ン」に変わると女陰の隠語になる。

・「み」=実、果実は殆ど丸く膨らんでいる。

・「む」=「六つ」=家屋に象る=地面から突き出ている。陸に同義。

・「め」=「目」、「芽」は膨らんでいる。「め一杯」=「山盛り一杯」。

         ※“?”(me)“?”(god=処)⇒「(お)めこ」=女陰の隠語(関西弁)になる。

・本来は卑猥語ではなく、品良く遠回しな表現であった。

・鹿児島(薩摩)弁の「饅頭」も「まン所(処)」の転で同伝。

・筑後弁の「蝶々・まンげ」も同伝。“-?”(-ge)=…の所を表す語。

・「も」=幼児の排便の始末の時「も」せんね=お尻を突き出せ。もっこり。

※女性の身体で、出っ張っている処はほかにもある!

*「乳」=“???”(ji-ji-ri)=ひどく、この上もなく、甚だ、至って。

・上述の「マンコ・メコ」よりも、ひどく、この上もなく出っ張っている処の意の定冠詞。


  • [34]
  • カチガラスとは…

  • 投稿者:福島雅彦
  • 投稿日:2022年 3月 7日(月)20時56分55秒
  • p4070-ipad107fukuokachu.fukuoka.ocn.ne.jp
  • 返信
 
※カチガラス=「“??”(gachi)一緒に」カラス。

*常に番(つがい)で一緒に行動しているカラス。

・語頭清音化で「カチガラス」である。

  • [33]
  • セッ・セッ・セッ、のよいよいよい、とは…

  • 投稿者:福島 雅彦
  • 投稿日:2022年 3月 6日(日)17時14分37秒
  • p6115-ipad104fukuokachu.fukuoka.ocn.ne.jp
  • 返信
 
※子供の頃、ゲーム等で一勝負ついた後に、ゲームが続くときに唱える言葉。

*“? ? ?”(sae sae sae)=「新たに・新たに・新たに」…。

*文字化けは「古代倭語(方言と朝鮮語に片鱗を留める)」のハングル表記。

  • [31]
  • Re: 倭国の鳥居の横棒は丸い

  • 投稿者:福島 雅彦
  • 投稿日:2022年 3月 5日(土)18時05分28秒
  • p2134-ipad108fukuokachu.fukuoka.ocn.ne.jp
  • 返信
 
>>29
>  滑車は 鳥居の横棒が丸いので不要。と見ています。
> 諏訪大社の御柱 移動に丸太で転がせ。

※土建業の私には、横棒が丸いだけでは、重量物の楊重は不可能と認識。

  • [28]
  • Re: 仮説 しめ縄 古墳被葬者の棺 牽引・荷下ろし の道具説

  • 投稿者:福島 雅彦
  • 投稿日:2022年 3月 3日(木)21時24分33秒
  • p3031-ipad102fukuokachu.fukuoka.ocn.ne.jp
  • 返信
 
>>27
>  神社で注連縄は 結界に用いられています。
> 沖ノ島神社 本殿の横の神の依り代の小山には結界が張られて、時々? 神が降臨。
> 神社の鳥居 西に向かっている神社、鳥居の向きが南に向かっている神社。
> 鹿島神宮のように本殿の正面が 北を向く神社。
> 鳥居が神の進入経路だとすれば 神社の創成期 この向きは意味を持つ。
>
> 私の仮設は 鳥居は棺の荷下ろし用のクレーン的役割の足場。
>       しめ縄は牽引の為、二脚の鳥居と別の鳥居で 四脚。竪穴石槨内に 棺をインサートできる。  棺用の木材 約1トン
>
> 葬儀・古墳への棺 埋納儀式後 鳥居と注連縄は、その部族国家の所有となり、財産でも有った。という仮説。
>  はく葬令後 神祇信仰から神道への変換の時期 後の神社への構成パーツに 鳥居と注連縄はなった。
>
> 神社の鳥居から本殿の道のり これは女性の子宮 。
> 手は 手前で清めなければいけない。

*私の説は語源の「音価」から辿り着いています。

・貴説ですと、滑車の存在が立証されなければならないと存じます。

  • [26]
  • 「サ・シ・ス・セ・ソ」は“soe”(鉄)に対応。に追加

  • 投稿者:福島 雅彦
  • 投稿日:2022年 3月 3日(木)12時38分5秒
  • p2047-ipad112fukuokachu.fukuoka.ocn.ne.jp
  • 編集済
  • 返信
 
・「注連縄」=“??”(soe-me)縄=製鉄の聖域入り口に張る縄、の意味だったのが神社や各家庭の玄関にも敷衍した、か。

  • [24]
  • 「川・河」が「かわ」なのは…

  • 投稿者:福島 雅彦
  • 投稿日:2022年 2月28日(月)21時17分7秒
  • p6023-ipad04fukuokachu.fukuoka.ocn.ne.jp
  • 編集済
  • 返信
 
③川(河)
 「川」は字音「セン」・「河」は漢字音「カ」呉音「ガ」。朝鮮語“?”(gang)。

  古代には道路は整備されていない、河川は高速道路なみの感覚であろう。

“??-??”(ka-tta-wa-tta)「行ったり来たり」する所、の意の縮約形。

・筑後川の畔の朝倉市には、「恵蘇宿八幡宮」がある。

「ゑそンしゅく八幡」=「曳船宿」の訛り。

日田市にも「余所八幡(えそ)八幡」があり、同伝。

下りは流れに乗る、登りは舟を曳いて往来の名残り。

*倒置形の「若・稚・幼」も、“??-??”(wa-tta-ka-tta)「行ったり来たり」の意。

・歴代天皇の和風諡号にも。朝鮮半島の「倭地」=「拘邪韓國」、「大伽耶國」、「彌烏邪馬國」「駕洛國」と行ったり来たり。

※其処で、天津彦彦火瓊瓊杵尊は「此地は韓國に向ひ笠紗の御前にま来通りて、朝日の直刺す国、夕日の日照る国なり。かれ此地ぞいと吉き地」と詔りたまひて…、と。

・ここからは、二日市地溝帯の御笠山(宝満山)の御前を引き通して韓國(からくに)が真正面になる。

*「韓国(からくに)」=半島の「倭人」の故地=「拘邪韓國」「大伽耶國」「彌烏邪馬國」「駕洛國」を指している。


太安万侶は此処にも伏線を敷いている。

・初代「神武天皇」諡号「若御毛沼命」の「若」も半島と来たり行ったりの意。

別の諡号「神倭伊波毘古命」の「神=韓」の当て字、「倭」=「天(あま)ン処」。

父親の「鵜葺(うが)草(や)葺不合(ふきあえずの)命(みこと)」=「大伽耶(うがや)不統合(ふとうごうの)命(みこと)」で、半島倭人(伽耶諸国)の統合に失敗した、の意。

・第二代「綏靖天皇」=「神淳名川耳命」。
・第四代「懿徳天皇」=「大日本彦耜友尊」。
・第六代「孝安天皇」=「日本足彦国押人尊」。
・第七代「孝霊天皇」=「大日本根子彦太瓊尊」。
・第八代「孝元天皇」=「大日本根子彦国牽尊」。
・第九代「開化天皇」=「稚日本根子大日日尊」。
・第十三代「成務天皇」=「稚足彦尊」。・第二十一代「雄略天皇」=「大泊瀬幼武尊」。
・第二十二代「清寧天皇」=「白髪武広国押稚日本根子尊」。

*文字化けは「古代倭語(方言と朝鮮語に片鱗を留める)」のハングル表記。




  • [22]
  • 「牛頭」=「曽尸茂梨」

  • 投稿者:福島 雅彦
  • 投稿日:2022年 2月27日(日)18時00分38秒
  • p4245-ipad105fukuokachu.fukuoka.ocn.ne.jp
  • 返信
 
・「曽尸茂梨」=“??-??”(soe-ssi-mori)=製鉄の頭(かしら=おさ)。
       “??”(mori)=「頭=かしら・あたま」。

・「牛頭天王」=「牛=鉄」と同音“?”(soe)。

・「頭」=“??”(mori)。

∴「牛頭天王」=「曽尸茂梨」と同義。

※私の産土神社「素盞嗚神社」の扁額には「牛頭天王」とある。

・「徐羅伐」= “???”(soe-ra-beol)=「鉄国原」。

・「徐那伐」=同上。「羅=那」共に「国」の意。「奈良=那羅」か?

・「徐伐」=“??”(soe-beol)=「鉄原」。

・「佐世保」=「南徐伐」“?-??”(sa-soe-beol)=「南鉄原」か。

*文字化けは「古代倭語(方言と朝鮮語に片鱗を留める)」のハングル表記。

  • [20]
  • Re: 「山田史御形」/「蘇尸茂利(そしもり)」について

  • 投稿者:福島 雅彦
  • 投稿日:2022年 2月27日(日)13時24分36秒
  • p2086-ipad03fukuokachu.fukuoka.ocn.ne.jp
  • 返信
 
※米田さん、愚説を詳しく再掲賜り多謝 謝々!

*『日本書紀』引用文の中に【曽尸茂梨之処】とあります。地名ではない、と読めます。

>>7
> 「山田史御形」/「蘇尸茂利(そしもり)」について
>
> ┌
> │『山田三方 (飛鳥・奈良時代)』(ウィキペディアより)
> │
> │山田 三方(やまだ の みかた)は、飛鳥時代から奈良時代にかけての貴族・学者。
> │名は「御方」、「御形」とも記される
> │経歴
> │僧侶として新羅に留学して学問を修めたのち、持統天皇6年(692年)に還俗して務広肆に叙せられる。
> │文武朝末の慶雲4年(707年)学問に優れていることを賞され、布・鍬・塩・穀物を与えられた。
> │元明朝の和銅3年(710年)に従五位下・周防守に叙任される。
> └
> ※:下記の文章は、引用です。誰が書いた文章か、不明にしてしまいました。
> _:古代史を調べ始めたころには、「山田史御形」=「藤原不比等」を考えていました。
> _:722年に、生存していることから、別人であることは、分かりました。ただ、
> _:山田寺は、蘇我氏に縁があるので、倉山田石川麻呂の子孫の一人だろうと、考えます。
> _:日本書紀の仏教関連の記事は、この「山田史御形」が、書いたものだろうと考えます。
>
> ※:また、「山田史御形」は、(少なくとも)692年には、「統一新羅」に居ました。
> _:この時、「統一新羅」の「王都」は、「慶州」になります。
> _:「そしもり」が「王都」だとすると、それは、(ソウルではなくて、)「慶州」になります。
>
> ┌
> │「(持統)六年(692年)冬十月壬戌朔壬申。授山田史御形務廣肆。前爲沙門學問新羅。」
> │
> │というものであり、「山田史御形」という人物を「還俗」させ冠位を与えたことが書かれています。
> │「国家」の命によりその知識と経験を生かすという意味で、「還俗」させているわけですが、
> │彼は「八世紀」に入って「文章博士」なども歴任することとなっており、
> │おそらく「続守言」「薩弘格」などについて「漢文」の勉強をしたものと考えられ、
> │ここでなされた「褒賞」はそのことに対するものと推測され、
> │それは『日本紀』の執筆・編纂を行うための準備作業であったと考えられます。
> │これ以降、この三人で、「原・日本紀」を編纂(執筆)し始めたというわけです。
> │
> │続日本紀1:養老6年(722年):従五位上:山田史御形(みかた/三方)
> └
>
>
> 『蘇志摩利(そしまり)』(ウィキペディアより)(そしもりから転送)
> :蘇志摩利とは、雅楽の一曲。
> :別名を長久楽(ちょうきゅうらく)、または蘇尸茂利(そしもり)ともいう。
>
> 由来
> 『日本書紀』 卷第一 第八段 一書第四の
> ヤマタノオロチ退治の前段に出てくる曾尸茂梨についての記述である。
>
> 一書曰 素戔嗚尊所行無状 故諸神 科以千座置戸 而遂逐之 是時 素戔嗚尊 帥其子五十猛神
> 降到於新羅國 居曾尸茂梨之≪≪ 處 ≫≫ 乃興言曰 此地吾不欲居 遂以埴土作舟 乘之東渡
> 到出雲國簸川上所在 鳥上之峯 時彼處有呑人大蛇


※【曽尸茂梨之処】と正確な記述=地名ではナイ、と。


> スサノオは子のイソタケルと新羅に降り曾尸茂梨(ソシモリ)に居た。スサノオが言うにはこの地に
> 私は居たくない。埴土で船を作りこれに乗って東に渡り出雲国の簸川上にある鳥上之峯に至った。
> 従って楽曲としての名称は「ソシマリ」(蘇志摩利)または「ソシモリ」(蘇尸茂利)であるが、
> その名称の元になった伝説上の地名は「ソシモリ」(曾尸茂梨)の方であって
> 「ソシマリ」ではないから注意が必要である(ソシマリはソシモリが訛ったものである)。
>
> 諸説
> 『釈日本紀』(述義)にある陽成天皇による878年(元慶2年)の日本紀講筵の元慶度講書
> (878年(元慶2年)-881年(元慶5年))で、惟良宿禰高尚(惟良高尚)が
> ソシモリを今の蘇之保留と解説し、その分注に「此説甚可驚云々」とされた。
>
> それらの中で比較的有名な説は、吉田東伍の「古代半島諸国興廃概考」
> (1891年(明治24年)8月号『史学会雑誌』21号p.21~22。)で、曾尸茂梨を春川の とし、
> 素戔嗚尊が彼の地にあまくだったのは中国の春秋戦国時代の西暦紀元前4世紀と推定した。
> 同論文は後に、『日韓古史断』(云々)の記述となり、
> この説に準拠して朝鮮の江原道春川郡の牛頭山に江原神社がつくられた。
> (1918年(大正7年)に社が建てられ、1941年(昭和16年)10月1日、国幣小社になった。)
> しかし場所についての論争に決着はつかないまま現在に至り、最近では、
> 普通名詞または神話上の概念として、特定の実在の場所に当てはめないのが学界の傾向である。
>
> またソシモリの語源や語義についても戦前から多くの説がある。
>
> 二つほど例をあげると、金沢庄三郎は『日鮮同祖論』(復刻版 成甲書房、1978年(昭和53年))で
> 「曽尸茂梨の(助辞)尸を除いたソモリは、徐伐すなわちソホリと音韻上一致するもので、
> モとホすなわちmp音の相通である」とした。
> また韓国の宗教文化研究院長の崔俊植(梨花大学教授)は、ソシモリは、「ソシ」は「高い柱」、
> 「モリ」は「頂上・てっぺん」、「ソシモリ」は「高い柱の頂上」という意とした。
> だが現在のところ「ソシモリ」の語義、語源について正確なところは不明である。
>
> 関連する神社
> 「曾志茂利」という名が関連する神社は、熱田神宮の末社(孫若御子神社の北に南面)に
> 曽志茂利社がある。後一条天皇の時代(1008年 - 1036年)に
> 津島神社の境内摂社「居森社」から勧請したもので、祭神は牛頭天王とされていたが、
> 神仏分離以降は祭神は「居茂利大神」とされ、この神名は素盞嗚尊の別称とされている。
>
>
>
> 日本とユダヤのハーモニー&古代史の研究
> 国生みの神々と失われた10部族古代の神々とイスラエルの関係_2012/04/28
>
> 「牛頭天王」に見え隠れする日本人のルーツ (八坂神社 本殿)
>
> 八坂神社 本殿 スサノオノミコトは牛頭(ゴズ)天王とも呼ばれ、
> 祇園祭の総本山とも言える京都の八坂神社(祇園社)に祀られているだけでなく、
> 八坂神社をはじめとする全国の鎮守社の御祭神としてあまりにも有名です。
> ところが記紀神話に伝えられるスサノオは、乱暴者であるがゆえに高天原から追放され、
> 出雲に出向いてその腹いせかのようにヤマタノオロチを倒した若武者というイメージに映ります。
> それ故、単なる厄除けの神のような存在にも思え、日本国民が土地の神、約束の神として
> 参拝したくなるような偉大な神とはお世辞にも考え難いのです。
> また葦原中国を統一したのが、スサノオの子孫である大国主神ということからしても、
> なぜスサノオだけが全国各地で建国の神として崇拝されるようになったのか、
> 疑問に思えてきます。その謎を解く鍵が、「牛頭」です。
>
> 牛頭という言葉の語源には定説がありません。日本書紀によるそれらしき記述としては、
> 天照大神に命じられてウケモチを見舞いに行くアマノクマヒトの神話があります。ところが
> 既にウケモチは死んでおり、その頭は牛と馬に、そして体のいたる部分が食物に変わっていたのです。
> この話が農耕作や牧畜の起源として語り継がれ、その過程において頭と牛が結び付き、
> 「牛頭」という言葉が使われるようになったという説があります。
> しかしそれでは、牛頭とスサノオの関連性を説明することができません。
>
> 八坂神社 祖霊社
> 八坂神社 祖霊社そこでスサノオが祀られている八坂神社の社伝に注目してみました。
> 社伝には7世紀、斉明天皇の時代に高麗からの遣いが日本を訪れ、その際、新羅国牛頭山にて
> 祀られていたスサノオノミコトが伝来し、山城国の八坂郷(現在の京都八坂神社付近)で祭られた
> ことが八坂神社の起源であると書かれています。また日本書紀にも高麗からの遣いの記述があり
> 「スサノオが五十猛神と共に新羅国のソシモリに降りた」とあります。
> 朝鮮語の「ソシモリ」は日本語では「牛頭」となるため、これらの記述からスサノオと
> 牛頭の結び付きを考えることができるようです。いずれにしてもスサノオと牛頭の関連性を
> 探るためには、どうやら日本海を隔てたアジア大陸に目を向けなければならないようです。
> また、牛頭はインドの祇園精舎でも守護神として祭られていました。
> 国語語源辞典(山中襄太著)の解説によりますと、このインドの牛頭天王が日本に伝来した際、
> 両部神道的な思想に則っていつしかスサノオに乗り移り、それが厄病よけの神へと進化し、その結果、
> 元来スサノオを祀っていた祇園社においても牛頭天王が祀られるようになったということです。
> しかしインドの牛頭天王がなぜ日本のスサノオと習合しなければならないのか、説明が不自然なようです。
>
> (上段):『ソウル特別市』(ウィキペディアより)
> (下段):『三国史記3』P-259、日本書紀を編纂している時の、新羅の「王都」の位置。(慶州)

  • [19]
  • 韓国の首都は…

  • 投稿者:福島 雅彦
  • 投稿日:2022年 2月27日(日)12時51分47秒
  • p2086-ipad03fukuokachu.fukuoka.ocn.ne.jp
  • 編集済
  • 返信
 
※ハングルの音価で“seoul”として居て語源が諸説あり不明の儘である。直訳で「西泣く」である。

*私が正しいハングル音価“soe-ul”を見つけた。

*「高天原」の東西の入り口に「三春原(うらせばる)」と「牛鳴(うしなき)峠(とおげ)」がある。

・「三春原」は「うらせばる」と読む。東側にあるが普通では読めない。

“??-?”(ul-soe-beol)=「鳴く鉄・原」(直訳)=鉄が唸る原(意訳)。

・「牛鳴峠」=“??”(soe-ul)峠=「鉄鳴く峠」=鉄が唸る峠。鉄⇔牛は同音。

・“??”(ul-soe)=「五月蝿い」の語源か。製鉄の音は「ウルセェ!」。

・「高天原」には、東多々羅、南多々羅、西多々羅と製鉄地名がある。
方位から見て北風自然送風の製鉄炉か。「素盞嗚尊」追放前の製鉄集団跡か。

・「高天原」には「諏訪神社」=「“?-?”(soe-wa)鉄来る神社」がある。

古代に在っては、鉄を制する者が国を制した。

「高天原」の東西の入り口が製鉄絡みの地名である。

韓国の首都の“??”(seoul)はこれの訛りを疑う。

※韓国の首都名は、「古代倭語(方言と朝鮮語に片鱗を留める)」であったのだ!!!!

・百済の上層人と庶民では言語が異なっていた、とか。上層人は「倭語」だった?

・「百済」渡来人の一世・二世は渡来して直ぐに『万葉集』歌を載せている、し…。

・「百済」の建国は「朱蒙」(倭人)の皇子でもあるし…。

*文字化けは「古代倭語(方言と朝鮮語に片鱗を留める)」のハングル表記。




  • [18]
  • Re: スレッド立ち上げ

  • 投稿者:福島 雅彦
  • 投稿日:2022年 2月27日(日)12時35分4秒
  • p2086-ipad03fukuokachu.fukuoka.ocn.ne.jp
  • 返信
 
>>17
> このスレッド立ち上げも福島さんですね?

*はい、その通りです。

  • [17]
  • スレッド立ち上げ

  • 投稿者:当世奇妙
  • 投稿日:2022年 2月27日(日)06時22分4秒
  • p2324062-ipbf2022funabasi.chiba.ocn.ne.jp
  • 返信
 
このスレッド立ち上げも福島さんですね?

  • [15]
  • ハングル文字は…

  • 投稿者:福島 雅彦
  • 投稿日:2022年 2月26日(土)22時07分39秒
  • p4028-ipad03fukuokachu.fukuoka.ocn.ne.jp
  • 編集済
  • 返信
 
ウィキペディアより転載
※「1443年に李氏朝鮮第4代国王の世宗大王が、訓民正音(朝: ????、略称: 正音)の名で公布した。」

※阿比留文字と、朝鮮半島で使われるハングルは形が似ており、関連が指摘されている。

<以上転載終り>

※朝鮮語が漢字で表記されている時代の語音の再現は困難であったが、ハングル文字は表音文字であり、各語意の「音価」は容易につかめる。

※古代「朝鮮語」の音価が、ハングル登場と同時に消滅したわけではないので、何千年も脈々と続く語彙の音価か訛り程度の差位で伝わっている、と観る。

※ハングル文字の新しさと、古語の音価の断絶に相関性はナイ!!

  • [14]
  • 福島様へ 間違えました 申し訳ありません

  • 投稿者:いつかコウヘイ
  • 投稿日:2022年 2月26日(土)21時37分23秒
  • kc220-213-216-247.ccnw.ne.jp
  • 返信
 
福島様へ 切り取りミスしました 申し訳ありません。

 NO.9 訂正しました>
 

  • [13]
  • Re: 倭族は中国東北部から半島そして日本へ 移動した。 

  • 投稿者:福島 雅彦
  • 投稿日:2022年 2月26日(土)21時28分34秒
  • p4028-ipad03fukuokachu.fukuoka.ocn.ne.jp
  • 編集済
  • 返信
 
>>9
> 福島説
> 【 半島の「倭」系の遺構・遺物は悉く列島から渡ったもの、ともして居ます。 】

※↑は、福島雅彦説ではありません!!!。いつかコウヘイさん、訂正してください!

*既存の説がその様に述べているが、逆である、との説明の途中を切り取っての誤解です!

・福島雅彦説は、「朝鮮半島には遍く「倭」「倭人」が居た」です!!!!!!

  • [12]
  • Re: 福島さんへ

  • 投稿者:福島 雅彦
  • 投稿日:2022年 2月26日(土)21時00分47秒
  • p4028-ipad03fukuokachu.fukuoka.ocn.ne.jp
  • 編集済
  • 返信
 
>>8
> このスレッド立ち上げは管理人とありますが福島さんですか?

※そうです!

・他にも福島雅彦の立ち上げたものが「管理人」さんになっているのがあります。

・【「徐福」の日本列島渡来の証拠 】も…

  • [11]
  • 古代朝鮮語

  • 投稿者:オヤジッチ
  • 投稿日:2022年 2月26日(土)12時54分55秒
  • dhcp-ubr1-0908.csf.ne.jp
  • 返信
 
古代朝鮮語(こだいちょうせんご)は、中期朝鮮語以前の朝鮮語を指す。河野六郎の定義によれば、訓民正音創製(1443年)以前の朝鮮語を古代朝鮮語という。韓国では「古代国語」と呼ぶが、これは「中世国語」(10世紀初 - 16世紀末)以前の朝鮮語、すなわち統一新羅時代、三国時代、あるいはそれ以前の朝鮮語を指す。従って、高麗時代の朝鮮語(高麗語)は、河野六郎の区分では古代朝鮮語に属するが、韓国における区分では「中世語(前期中世語)」に属することになる。
三国時代以前の朝鮮語については、資料がほとんど存在しないため、その姿を知ることはできない。また、三国の言語のうち高句麗語と百済語は、歴史書などにおける地名・人名の漢字表記などから、若干の形態素が抽出できる程度しか判明しておらず、現在のところ言語の全体像を知ることはできない。言語像をある程度知ることができるのは、資料が比較的多く残されている新羅語だけであるが、それでも資料は非常に限定されており、言語の全体像を把握するのはなお困難である。

古代朝鮮語期はハングルが作られる以前の時期であるので、その資料は『三国史記』、『三国遺事』などの朝鮮や近隣諸国の歴史書に現れる地名や人名、吏読・郷札・口訣など漢字表記された資料に限られる。朝鮮語が漢字によって暗示的に表示されるため、その語形を厳密に復原するのは容易でない。

子音
古代朝鮮語には平音と激音の対立があったものと思われる。例えば三国遺事(巻3)「或作異次、或云伊處、形音之別也、譯云厭也(異次と言ったり伊処と言ったりするが方言の違いである。訳せば「厭」である)」の「次、處」は次清字であるが、「異次、伊處」は中期朝鮮語「?-(疲れる)」に通じる単語である。その一方で、濃音についてはその存在をはっきり示す資料がない。
中期朝鮮語にあった語中の摩擦音 ? [β]、? [z]、? [?] が古代朝鮮語でいかなる音であったかについては説が分かれるが、それぞれ破裂音 *?、*?、*? に遡るとする説が有力である。また、これと関連して、中期朝鮮語におけるある種の ? が古代朝鮮語において *? に遡ると見られる。例:波珍 *bat@r「海」(中期朝鮮語:bar@r)。
母音
単母音は中期朝鮮語と同じく7母音体系であったと見られるが、一部に/?/に2種類(/i/ と /?/)があったとする説がある。/?/(アレア)は中期朝鮮語では [?] だったと見られているが、古代朝鮮語では円唇性のより強い [?] だったと推測される。中期朝鮮語における /?/ の一部は、古代朝鮮語で /?/ に遡るものがあると見られる。

河野 六郎(こうの ろくろう、1912年12月16日 - 1998年10月7日)は、日本の言語学者。東京教育大学名誉教授。専門は朝鮮語・中国語。1986年日本学士院会員。1993年文化功労者。

  • [10]
  • へその緒

  • 投稿者:オヤジッチ
  • 投稿日:2022年 2月26日(土)12時51分30秒
  • dhcp-ubr1-0908.csf.ne.jp
  • 返信
 
古代朝鮮語というが、そもそも15世紀にハングルが作られる以前、 朝鮮では全ての文書は漢文で書かれており、当時の朝鮮語がどんなものであったかごく一部しか資料は残っていない。ハングル以前には吏読(りとう)、口訣(こうけつ)、郷札(きょうさつ)という、漢字で朝鮮語を表す方法があったが、それらはごく一部分で断片的しか残っておらず、漢字の音と訓を複雑に交えた表記法なので、どの漢字がどう読まれたのかなどは正確にわからないとされ、またそれらが音韻の複雑な朝鮮語を正確に書き表したかどうかすら定かではない。
万葉時代に相当する古朝鮮語の資料が朝鮮半島にほとんど残されていないのは致命的であり、その点、万葉集だけでなく多くの古典が後世まで連綿と継承保存されている日本とは全く状況が異なるのである。
(比較言語学から見た日本語と朝鮮語より)

比較言語学も人文科学という科学の一分野であるから、科学的視点でもってその結果を重く受け止める必要がある。実感による類似性だけで比定するのはまともな科学者のすることではあるまい。

  • [8]
  • 福島さんへ

  • 投稿者:当世奇妙
  • 投稿日:2022年 2月26日(土)08時48分51秒
  • p2324062-ipbf2022funabasi.chiba.ocn.ne.jp
  • 返信
 
このスレッド立ち上げは管理人とありますが福島さんですか?


  • [7]
  • 「山田史御形」/「蘇尸茂利(そしもり)」について

  • 投稿者:米田 喜彦
  • 投稿日:2022年 2月26日(土)00時50分26秒
  • fp76ee5538.tkyc003.ap.nuro.jp
  • 編集済
  • 返信
 
「山田史御形」/「蘇尸茂利(そしもり)」について


│『山田三方 (飛鳥・奈良時代)』(ウィキペディアより)

│山田 三方(やまだ の みかた)は、飛鳥時代から奈良時代にかけての貴族・学者。
│名は「御方」、「御形」とも記される
│経歴
│僧侶として新羅に留学して学問を修めたのち、持統天皇6年(692年)に還俗して務広肆に叙せられる。
│文武朝末の慶雲4年(707年)学問に優れていることを賞され、布・鍬・塩・穀物を与えられた。
│元明朝の和銅3年(710年)に従五位下・周防守に叙任される。

※:下記の文章は、引用です。誰が書いた文章か、不明にしてしまいました。
_:古代史を調べ始めたころには、「山田史御形」=「藤原不比等」を考えていました。
_:722年に、生存していることから、別人であることは、分かりました。ただ、
_:山田寺は、蘇我氏に縁があるので、倉山田石川麻呂の子孫の一人だろうと、考えます。
_:日本書紀の仏教関連の記事は、この「山田史御形」が、書いたものだろうと考えます。

※:また、「山田史御形」は、(少なくとも)692年には、「統一新羅」に居ました。
_:この時、「統一新羅」の「王都」は、「慶州」になります。
_:「そしもり」が「王都」だとすると、それは、(ソウルではなくて、)「慶州」になります。


│「(持統)六年(692年)冬十月壬戌朔壬申。授山田史御形務廣肆。前爲沙門學問新羅。」

│というものであり、「山田史御形」という人物を「還俗」させ冠位を与えたことが書かれています。
│「国家」の命によりその知識と経験を生かすという意味で、「還俗」させているわけですが、
│彼は「八世紀」に入って「文章博士」なども歴任することとなっており、
│おそらく「続守言」「薩弘格」などについて「漢文」の勉強をしたものと考えられ、
│ここでなされた「褒賞」はそのことに対するものと推測され、
│それは『日本紀』の執筆・編纂を行うための準備作業であったと考えられます。
│これ以降、この三人で、「原・日本紀」を編纂(執筆)し始めたというわけです。

│続日本紀1:養老6年(722年):従五位上:山田史御形(みかた/三方)



『蘇志摩利(そしまり)』(ウィキペディアより)(そしもりから転送)
:蘇志摩利とは、雅楽の一曲。
:別名を長久楽(ちょうきゅうらく)、または蘇尸茂利(そしもり)ともいう。

由来
『日本書紀』 卷第一 第八段 一書第四の
ヤマタノオロチ退治の前段に出てくる曾尸茂梨についての記述である。

一書曰 素戔嗚尊所行無状 故諸神 科以千座置戸 而遂逐之 是時 素戔嗚尊 帥其子五十猛神
降到於新羅國 居曾尸茂梨之處 乃興言曰 此地吾不欲居 遂以埴土作舟 乘之東渡
到出雲國簸川上所在 鳥上之峯 時彼處有呑人大蛇

スサノオは子のイソタケルと新羅に降り曾尸茂梨(ソシモリ)に居た。スサノオが言うにはこの地に
私は居たくない。埴土で船を作りこれに乗って東に渡り出雲国の簸川上にある鳥上之峯に至った。
従って楽曲としての名称は「ソシマリ」(蘇志摩利)または「ソシモリ」(蘇尸茂利)であるが、
その名称の元になった伝説上の地名は「ソシモリ」(曾尸茂梨)の方であって
「ソシマリ」ではないから注意が必要である(ソシマリはソシモリが訛ったものである)。

諸説
『釈日本紀』(述義)にある陽成天皇による878年(元慶2年)の日本紀講筵の元慶度講書
(878年(元慶2年)-881年(元慶5年))で、惟良宿禰高尚(惟良高尚)が
ソシモリを今の蘇之保留と解説し、その分注に「此説甚可驚云々」とされた。

それらの中で比較的有名な説は、吉田東伍の「古代半島諸国興廃概考」
(1891年(明治24年)8月号『史学会雑誌』21号p.21~22。)で、曾尸茂梨を春川の とし、
素戔嗚尊が彼の地にあまくだったのは中国の春秋戦国時代の西暦紀元前4世紀と推定した。
同論文は後に、『日韓古史断』(云々)の記述となり、
この説に準拠して朝鮮の江原道春川郡の牛頭山に江原神社がつくられた。
(1918年(大正7年)に社が建てられ、1941年(昭和16年)10月1日、国幣小社になった。)
しかし場所についての論争に決着はつかないまま現在に至り、最近では、
普通名詞または神話上の概念として、特定の実在の場所に当てはめないのが学界の傾向である。

またソシモリの語源や語義についても戦前から多くの説がある。

二つほど例をあげると、金沢庄三郎は『日鮮同祖論』(復刻版 成甲書房、1978年(昭和53年))で
「曽尸茂梨の(助辞)尸を除いたソモリは、徐伐すなわちソホリと音韻上一致するもので、
モとホすなわちmp音の相通である」とした。
また韓国の宗教文化研究院長の崔俊植(梨花大学教授)は、ソシモリは、「ソシ」は「高い柱」、
「モリ」は「頂上・てっぺん」、「ソシモリ」は「高い柱の頂上」という意とした。
だが現在のところ「ソシモリ」の語義、語源について正確なところは不明である。

関連する神社
「曾志茂利」という名が関連する神社は、熱田神宮の末社(孫若御子神社の北に南面)に
曽志茂利社がある。後一条天皇の時代(1008年 - 1036年)に
津島神社の境内摂社「居森社」から勧請したもので、祭神は牛頭天王とされていたが、
神仏分離以降は祭神は「居茂利大神」とされ、この神名は素盞嗚尊の別称とされている。



日本とユダヤのハーモニー&古代史の研究
国生みの神々と失われた10部族古代の神々とイスラエルの関係_2012/04/28

「牛頭天王」に見え隠れする日本人のルーツ (八坂神社 本殿)

八坂神社 本殿 スサノオノミコトは牛頭(ゴズ)天王とも呼ばれ、
祇園祭の総本山とも言える京都の八坂神社(祇園社)に祀られているだけでなく、
八坂神社をはじめとする全国の鎮守社の御祭神としてあまりにも有名です。
ところが記紀神話に伝えられるスサノオは、乱暴者であるがゆえに高天原から追放され、
出雲に出向いてその腹いせかのようにヤマタノオロチを倒した若武者というイメージに映ります。
それ故、単なる厄除けの神のような存在にも思え、日本国民が土地の神、約束の神として
参拝したくなるような偉大な神とはお世辞にも考え難いのです。
また葦原中国を統一したのが、スサノオの子孫である大国主神ということからしても、
なぜスサノオだけが全国各地で建国の神として崇拝されるようになったのか、
疑問に思えてきます。その謎を解く鍵が、「牛頭」です。

牛頭という言葉の語源には定説がありません。日本書紀によるそれらしき記述としては、
天照大神に命じられてウケモチを見舞いに行くアマノクマヒトの神話があります。ところが
既にウケモチは死んでおり、その頭は牛と馬に、そして体のいたる部分が食物に変わっていたのです。
この話が農耕作や牧畜の起源として語り継がれ、その過程において頭と牛が結び付き、
「牛頭」という言葉が使われるようになったという説があります。
しかしそれでは、牛頭とスサノオの関連性を説明することができません。

八坂神社 祖霊社
八坂神社 祖霊社そこでスサノオが祀られている八坂神社の社伝に注目してみました。
社伝には7世紀、斉明天皇の時代に高麗からの遣いが日本を訪れ、その際、新羅国牛頭山にて
祀られていたスサノオノミコトが伝来し、山城国の八坂郷(現在の京都八坂神社付近)で祭られた
ことが八坂神社の起源であると書かれています。また日本書紀にも高麗からの遣いの記述があり
「スサノオが五十猛神と共に新羅国のソシモリに降りた」とあります。
朝鮮語の「ソシモリ」は日本語では「牛頭」となるため、これらの記述からスサノオと
牛頭の結び付きを考えることができるようです。いずれにしてもスサノオと牛頭の関連性を
探るためには、どうやら日本海を隔てたアジア大陸に目を向けなければならないようです。
また、牛頭はインドの祇園精舎でも守護神として祭られていました。
国語語源辞典(山中襄太著)の解説によりますと、このインドの牛頭天王が日本に伝来した際、
両部神道的な思想に則っていつしかスサノオに乗り移り、それが厄病よけの神へと進化し、その結果、
元来スサノオを祀っていた祇園社においても牛頭天王が祀られるようになったということです。
しかしインドの牛頭天王がなぜ日本のスサノオと習合しなければならないのか、説明が不自然なようです。

(上段):『ソウル特別市』(ウィキペディアより)
(下段):『三国史記3』P-259、日本書紀を編纂している時の、新羅の「王都」の位置。(慶州)

http://


  • [6]
  • かってに(再掲)

  • 投稿者:米田 喜彦
  • 投稿日:2022年 2月26日(土)00時44分39秒
  • fp76ee5538.tkyc003.ap.nuro.jp
  • 編集済
  • 返信
 
* Re: 加羅の名は -加耶と弁辰- ( No.9 ) 日時: 2020/05/11(月) 22:33:12  名前:福島雅彦

白石楠花さま、大変興味深く拝読させて頂きました。

然し、これ程綿密にアカデミックに論考が為されているのに、画竜点睛を缼いている、と。
それは、加羅・伽耶が「倭地」である事に一切触れていない事です。
半島の「倭」系の遺構・遺物は悉く列島から渡ったもの、ともして居ます。

*私の思考回路は、直感と閃きと屁理屈です(アカデミックではありません)が…。
・韓半島には、遍く「倭・倭人」が居た、と観ます。
・その根拠は、古文献記載の「倭語音写語句」の解釈からです。
・そのツールは「古代倭語(方言と朝鮮語に片鱗を留める)」の解読です。

1.「古代倭語(方言と朝鮮語に片鱗を留める)」に朝鮮語を持ち出す理由。

≪ハングル表記=「古代倭語(方言と朝鮮語に片鱗を留める)」・福島命名≫

? 所謂「倭・倭人・倭国」の範疇は日本列島のみを指すのではナイ!

・檀君神話の古朝鮮建国の古地名「阿斯達」の「阿斯」は「倭語」の「朝」由来。
天帝の子、桓雄が地上に降りて建国。人になりたがった熊と虎に方法を伝授。
熊は女人と化すが虎はなれずに逃亡。この熊と虎とは倭族の「濊・貊」を指すのではないか。
この熊女と桓雄の間に生まれたのが古朝鮮初代王檀君王倹。

・中国の古書『山海経』に「蓋國は鉅燕の南、倭の北にあり倭は鉅燕に属す」と。
 蓋國を白頭山南麓の蓋馬高原と観ると、その南の倭とは朝鮮半島全域の事。

・「扶餘」は「ふ(幸運の意の九州弁)餘(あまる)」の「倭語」の漢訳か、と。

・「高句麗」建国王の「朱蒙(ちゅもん)」は、漢に滅ぼされた古朝鮮遺民とか。
 その誕生は卵生、夫餘王の「金蛙」が育てる。金蛙の「蛙=倭」と同音。
 「朱蒙」とは弓を能くする者の意=「朱(矢の射出音)蒙(もん=者)」の「倭語」。

・「朱蒙」の姓は「高氏」。高句麗とは「高(氏)のグル(仲間)」の意の「倭語」か。
 「高句麗」の古地名に「倭数詞」に因むものが在ることが知られている、
 これは「倭語」話者の「倭人」が名付けた地名が残存、と観る。因に
 「倭数詞」は漢数字の書き方説明を古代倭語(九州弁と朝鮮語に臍の緒を留める)で述べたもの。

一例に「九つ」を。
・「九つ」=“?-?(ノ)乙”(keod-geod-no-otsu)。
 “? ・?”(keo keod)=「大きく(なって)・大きく(なった)」の語幹、
 「一」の位より一桁上の「十」を意味し、“?-”(geod)は「取り除ける・取り去る」の意の語幹。
 「乙」=「一つ、一」の意味(大修館書店・大漢語林)。即ち、
 『大きい位「十」から、取り除ける、乙(一)』。字形「九」の成り立ちは「ノ・乙」。朝鮮固有数詞
 とされる「九つ」 “??”(a-hob)「アホッ=阿呆」も少し足りない意も「倭語」の借用か。
・「百済」=朱蒙の皇子が建国。百済は「ペクヂェ」であって「くだら」とは読めない。
 「高(氏)“?”(ddal=属する)羅(くに)」=「高(氏)に属する国」の意の「倭語」。
・『三国志(魏志韓伝)』の国々の中に、水縄連山(耳納山地)と同義の国名を見つけた。
 それは「彌烏邪馬(みおやま)國」。
 水(み)縄山(のやま)の古称に蓑(みの)尾山(おやま)がある。
 水縄も蓑尾(雨具)も水が滴る意の同義。
 高良山の古称「高牟礼山」も「“??-?”(taka-mul)山」=「集(たか)る水の山」。
 「彌烏邪馬國」も「水生山國」の「水を生む山」の意の「倭語」由来か、と。
 前身の「大伽耶國」建国王「伊珍阿岐王」とは「伊奘諾尊」の事で「倭人(神)」か。
 この両方の「みの(お)やま」に区別をつけるために、
 定冠詞“???”(ku-reum-e)=「雲の…」を付けたのが「久留米」の語源か。
 水縄連山(耳納山地)の山頂には「白雲台、紫雲台、凌雲台、碧雲台、渓雲台」がある。
 後の「高霊郡」は「高良山」と対応する、か。高霊郡の地名に
 「箕山(きざん)里(り)」があるが、「倭語」の「箕山(みのやま)」の意の漢訳を疑う。


2.中国正史の記述から

1).『後漢書』
*倭王 「帥升」は「すいしょう」ではナイ!

・中国書記官の認識=“Shuài shēng”である。「古代倭語(方言と朝鮮語に片鱗を留める)」
 の“??”(soe-sang)=鉄・上=製鉄王=素(ス)盞(さン)(嗚尊)の音写である。

・素盞嗚尊が『後漢書』に倭王として登場している、のである。
.倭王「帥升」が中国の皇帝に献上した「生口」百六十人は、奴隷ではナイ!

*奴隷を船旅で列島から対馬海峡を横断しての連行は不可能である。船の漕ぎ手の他に
 反乱、逃亡を監視する人と「生口」と、二十人乗りの船に仕立てたら何艘の船が要るか。
 漕ぎ手十人、監視二人、「生口」八人とすれば、二十艘からの大船団、あり得ない。
 手足を拘束した百六十人の食事、排泄の世話をしながら、萬二千餘里の旅は不可能。

・「素盞嗚尊」は高天原から追放され、新羅(編纂時の国名)の曽尸茂梨(そしもり=製鉄の長)の
 処へ行っている(『日本書紀』)。
 「曽尸茂梨」は地名ではなく、「素盞嗚尊」の配下の「倭人」の製鉄の長(おさ)の事である。

・「國出鐵濊倭馬韓並從市之凡諸貨易皆以鐵為貨」(『後漢書』の『韓傳』より)=倭は半島内の
 「倭」の領域で「從(ほしいまま)に製鉄していた」。陸行で製鉄技術者を献上したのである。

2).『三国志(魏志倭人伝)』

「狗邪韓國」とは韓の領域の事ではナイ!

*「…到其北岸狗邪韓國七千餘里」の「其」=「從郡至倭…」の「倭」の事。

・朝鮮の古民話に、王が臣下に「九つの頭の竜が王の意に従わないので誰か退治する者は居ないか」と
 問いかけるのがある(概略)。九部族の族長が治める倭人の事であろう。

・狗邪韓國=九倭韓國(九人の「倭」の部族長)の意の国情説明文言の一部。
 この「韓」は騎馬民族の「王」や「君主」の意の“haan・khan”の事。
・官職などが記載されていないのは、部族並立で国家の態を為していないから。

・『三国遺事』の『駕洛國記』には、この地の首露王降臨神話に「亀旨峰に集う
 「九干」の上空から降臨」(概略)とある。「九干」=九人の部族長=「狗邪韓國」と同義。


3.歴代天皇の諡号から

*天皇の御名に「神」が付くのは、騎馬民族の王の意の「韓」に由来する、かと。
*天皇の御名に「大日本(おおやまと)・日本(やまと)」と付くのは、任那倭人の出自を疑う。
 「大和・倭(やまと)」=「「邪馬・邪靡」ンと(処)」で、「邪馬・邪靡」の分国の意。
*天皇の御名に「若・稚」が付くのは、
 半島帰還“??-??”(watta-gatta)行ったり来たりの縮約の意か。
*「神武天皇」は「神日本磐余彦尊(神倭伊波毘古命)」と「若御毛沼命」と三揃い。

・父の名「鵜葺草葺不合命(うがやふきあえずのみこと)」とは、半島由来蔽。
 「大伽倻(うがや)不統合(ふきあえず)」を表しているのではないか、と。

*二代・綏靖天皇の異称「神(かん)淳名川耳尊」も同伝。
*四代・懿徳天皇の異称「大日本(おおやまと)彦耜友尊」も同伝。
*六代・孝安天皇の異称「日本(やまと)足彦国押人尊」も同伝。
*七代・孝霊天皇の異称「大日本(おおやまと)根子彦太瓊尊」も同伝。
*八代・孝元天皇の異称「大日本(おおやまと)根子彦国牽尊」も同伝。
*九代・開化天皇の異称「稚日本(おおやまと)根子彦大日日尊」も同伝。
*十三代・成務天皇の異称「稚(わか)足彦尊」も同伝。

※これ等に触れていないのは、半島に先住した「倭人」の事実を隠蔽したいから、ではないかと疑う。

*『記・紀』も半島由来を隠蔽している、と観る。
*文字化けは「古代倭語(方言と朝鮮語に片鱗を留める)」のハングル表記。

http://


  • [5]
  • Re: サバ 窯業の世界でも使用

  • 投稿者:福島 雅彦
  • 投稿日:2022年 2月25日(金)21時39分52秒
  • p6238-ipad04fukuokachu.fukuoka.ocn.ne.jp
  • 返信
 
>>4
> 国立研究開発法人産業技術総合研究所
> 【 -陶磁器原料の枯渇対策に向けて-ポイント
> 瀬戸地域に分布する「青サバ」は、カオリン化作用を受けた花こう岩風化殻であることを解明  青サバを、磁力選鉱により窯業原料として利用する技術を開発
> 陶磁器・タイル用原料に青サバを混合することで、良質な原料の使用量を削減し、資源の安定供給に道 】
>
> スサ も窯の窯壁混入材料

*いつかコウヘイさん、情報を賜り多謝 謝々!

・青サバで検索して、件のサイトへ訪問しました。

・何やら「鉄分」と関係があるみたいでした。質問Eメールがありましたので問い合わせてみます。

  • [4]
  • サバ 窯業の世界でも使用

  • 投稿者:いつかコウヘイ
  • 投稿日:2022年 2月25日(金)16時52分16秒
  • kc220-213-216-247.ccnw.ne.jp
  • 返信
 
国立研究開発法人産業技術総合研究所
【 -陶磁器原料の枯渇対策に向けて-ポイント
瀬戸地域に分布する「青サバ」は、カオリン化作用を受けた花こう岩風化殻であることを解明  青サバを、磁力選鉱により窯業原料として利用する技術を開発
陶磁器・タイル用原料に青サバを混合することで、良質な原料の使用量を削減し、資源の安定供給に道 】

スサ も窯の窯壁混入材料

  • [3]
  • 「サ・シ・ス・セ・ソ」は“soe”(鉄)に対応。

  • 投稿者:福島 雅彦
  • 投稿日:2022年 2月25日(金)16時19分34秒
  • p3199-ipad102fukuokachu.fukuoka.ocn.ne.jp
  • 編集済
  • 返信
 
※「古代倭語(方言と朝鮮語に片鱗を留める)」の“?”(soe)=「サ・シ・ス・セ・ソ」に対応しています。

※「鉄」の意の“?”(soe)は、「サ・シ・ス・セ・ソ」に対応する。

・「サバ虫」=“??”虫=蠅の幼虫(蛆虫)。子供の頃釣りの餌の呼称。

       何故、サバ虫と言うのか知らずにいた。

   “?”(soe)に遭遇して気付いた。古代の骨の釣り針には刺さらない=鉄針用の餌、の意ではないかと。

・「差し矩」(さしがね)=“?”尸矩=鉄製の曲尺の意。尸(し)=格助詞の「の」。

・「塩土の神」=“?”生(お)土の神=砂鉄の神。鉄が生まれる土の神。

・「帥升」=倭王 「帥升」=“shuai-sheng”=“??”(soe-sang)=鉄上=製鉄王=「素盞嗚尊」

・「須恵器」=“??”(soe-gi)=鉄の様に硬い器、「鉄器」(朝鮮語)。

・「曽尸茂梨」=“??-??”(soe-ssi-mori)=製鉄の頭(かしら=おさ)。

・「徐羅伐」= “???”(soe-ra-beol)=「鉄国原」。

・「徐那伐」=同上。「羅=那」共に「国」の意。「奈良=那羅」か?

・「徐伐」=“??”(soe-beol)=「鉄原」。
・「佐世保」=「南徐伐」“?-??”(sa-soe-beol)=「南鉄原」。

*文字化けは「古代倭語(方言と朝鮮語に片鱗を留める)」のハングル表記。
   

  • [2]
  • 日・朝語の関係

  • 投稿者:福島雅彦
  • 投稿日:2021年 8月 8日(日)17時41分56秒
  • p2015-ipad110fukuokachu.fukuoka.ocn.ne.jp
  • 返信
 
※月(つき)

「月」は漢音「ゲツ」呉音「ガツ」である。

朝鮮語“?”(dal)、“?”(weol)。

*古来、月には兎が棲むという。子供のころ、兎が餅つきをしている、聞かされた。

・月を指差して“??”(to-ggi=兎)と言ったのが「つき」。

*文字化けは「古代倭語(方言と朝鮮語に片鱗を留める)」のハングル表記。


  • [1]
  • 日・朝語の関係

  • 投稿者:福島雅彦
  • 投稿日:2021年 8月 8日(日)16時32分48秒
  • p2015-ipad110fukuokachu.fukuoka.ocn.ne.jp
  • 返信
 
※兎(うさぎ)
 「兎」は漢音「ト」呉音「ツ」である。朝鮮語では“??”(to-ggi)である。

    語源は諸説あり、高句麗語の「烏斯含(おさがム)」ではないかとも言われている。

 「長(おさ)“?”(gwi=耳)」⇒「長耳」の意。ならば「烏斯」は「倭語」。

*文字化けは「古代倭語(方言と朝鮮語に片鱗を留める)」のハングル表記。


レンタル掲示板