Yahooブログで度々訪問しております、Hakureiと申します。お久しぶりです。
この度Yahooブログ終了に伴い、新たなブログに移行しましたのでそのお知らせです。
移行先は下記のURLに貼っておきます。
http://hakurei-fieldlog.doorblog.jp/
http://hakurei-fieldlog.doorblog.jp/
決め手がないまま引っ越し先を決めずにいましたが、
決め手がないまま以下の引っ越し先に決めました。
→https://ameblo.jp/nonbirito-kodaisi/entry-12493013120.html
一昨日から少しずつ記事を書き始めています。
もしよろしかったらご訪問ください。
今後ともよろしくお願い致します。
記・紀いっぱつ
空メールは「」あなたは会員ではない」と帰ってくるし、PDFはソフトを持たない(重たい)ので開けないし、もうたくさんです。会員になったところでとくにメリットもなさそうなので、もういいですわ。
めんどくさいのはごめんです。
> 誤ってメールが捨てられたみたいなので、もう一度送っていただけませんか?
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> > Kawakatuさん、こんばんは。12月2日にfleemlが終了しますね。そこで、隠された古代史を探索する会では、らくらく連絡網に乗り換えます。一様、Kawakatuさんにも招待状のメールが届いていると思いますが、この場でご招待しますのでよろしくお願いします。そこで、jr55600caf@ra9.jpのメールアドレスに空で送信して頂けませんか。
誤ってメールが捨てられたみたいなので、もう一度送っていただけませんか?
> Kawakatuさん、こんばんは。12月2日にfleemlが終了しますね。そこで、隠された古代史を探索する会では、らくらく連絡網に乗り換えます。一様、Kawakatuさんにも招待状のメールが届いていると思いますが、この場でご招待しますのでよろしくお願いします。そこで、jr55600caf@ra9.jpのメールアドレスに空で送信して頂けませんか。
Kawakatuさん、こんばんは。12月2日にfleemlが終了しますね。そこで、隠された古代史を探索する会では、らくらく連絡網に乗り換えます。一様、Kawakatuさんにも招待状のメールが届いていると思いますが、この場でご招待しますのでよろしくお願いします。そこで、jr55600caf@ra9.jpのメールアドレスに空で送信して頂けませんか。
神武が紀伊半島で出会うのは尾張氏の祖だった高倉持と熊野の紀氏です。彼らがナビゲートする。
紀氏は九州では肥前佐賀にいました。そこは武内宿禰の妻・山下影姫の生まれた土地です。
紀氏にはあなたが言う徐福の来日から氏族が始まったような伝説があるはずです。ただし伽耶を経由している。理由は葛城・紀氏・蘇我・平群・波田などは武内宿禰子孫でつながっているからです。
武内宿禰は蘇我氏ですので、蘇我氏、または物部氏も、いやさ中臣氏も、縄文からの倭人=海人族です。その祖がホアカリですが、これは海部氏と尾張氏の祖で、豊日別の祖でしょう。別がつきますから吉備一族とまとめられると考えられます。
> 古代の船はモータリゼイションの中心にありますから、その力は絶対あなどれませんね。彼らがいなければ、海外へも国内へも行けない。陸地は魏志に言うとおり、草木繁茂常態で歩けません。海こそが最大で唯一の交通だったわけです。
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> まずその海人族とは紀氏です。
> 『日本書紀』編纂で紀氏の祖人伝承こそが神武に反映された。だから熊野にわざわざいくわけですので。
>
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> > Kawakatuさん、こんばんは。崇神天皇の時代に宮中でアマテラスとヤマトノオホクニタマを祀ってたそうです。このヤマトノオホクニタマは、浦島太郎のモデルになったと言われるウズヒコ(椎根津彦)の倭国造が祀っていた神。海人族の神ですね。倭国造は、豊後、吉備、淡路、河内を勢力範囲としていた。その神、ヤマトノオホクニタマが崇神天皇から垂仁天皇の時代に祀られていたということは、邪馬台国が豊後辺りにあって、ヤマト王権に吸収された可能性がありますね。アマテラスがニニギに三種の神器を与えたとあり、神武天皇の時代に八咫鏡があるわけがない。神武の東征は、初期のヤマト王権に加担していた海人族の話だと思います。その海人族の祖先は、徐福が連れてきた3,000人の中の一部であったと。邪馬台国は、その人等によって建てられた国だったのではないでしょうか。海人族の祖神がアメノホアカリであり、ニニギの弟となっているのも臭い。京都府宮津市大垣にある[元伊勢]籠神社には、アメノホアカリが主祭で相祭にアマテラスが祀られているのも、ヤマト王権と海人族との関係がウイウイの関係にあったことを物語っていると思います。海人族=邪馬台国は、ヤマト王権に飲み込まれた。だから、大和朝廷の「記紀」に邪馬台国の話を載せる必要がなかったのだと思います。
古代の船はモータリゼイションの中心にありますから、その力は絶対あなどれませんね。彼らがいなければ、海外へも国内へも行けない。陸地は魏志に言うとおり、草木繁茂常態で歩けません。海こそが最大で唯一の交通だったわけです。
まずその海人族とは紀氏です。
『日本書紀』編纂で紀氏の祖人伝承こそが神武に反映された。だから熊野にわざわざいくわけですので。
> Kawakatuさん、こんばんは。崇神天皇の時代に宮中でアマテラスとヤマトノオホクニタマを祀ってたそうです。このヤマトノオホクニタマは、浦島太郎のモデルになったと言われるウズヒコ(椎根津彦)の倭国造が祀っていた神。海人族の神ですね。倭国造は、豊後、吉備、淡路、河内を勢力範囲としていた。その神、ヤマトノオホクニタマが崇神天皇から垂仁天皇の時代に祀られていたということは、邪馬台国が豊後辺りにあって、ヤマト王権に吸収された可能性がありますね。アマテラスがニニギに三種の神器を与えたとあり、神武天皇の時代に八咫鏡があるわけがない。神武の東征は、初期のヤマト王権に加担していた海人族の話だと思います。その海人族の祖先は、徐福が連れてきた3,000人の中の一部であったと。邪馬台国は、その人等によって建てられた国だったのではないでしょうか。海人族の祖神がアメノホアカリであり、ニニギの弟となっているのも臭い。京都府宮津市大垣にある[元伊勢]籠神社には、アメノホアカリが主祭で相祭にアマテラスが祀られているのも、ヤマト王権と海人族との関係がウイウイの関係にあったことを物語っていると思います。海人族=邪馬台国は、ヤマト王権に飲み込まれた。だから、大和朝廷の「記紀」に邪馬台国の話を載せる必要がなかったのだと思います。
Kawakatuさん、こんばんは。崇神天皇の時代に宮中でアマテラスとヤマトノオホクニタマを祀ってたそうです。このヤマトノオホクニタマは、浦島太郎のモデルになったと言われるウズヒコ(椎根津彦)の倭国造が祀っていた神。海人族の神ですね。倭国造は、豊後、吉備、淡路、河内を勢力範囲としていた。その神、ヤマトノオホクニタマが崇神天皇から垂仁天皇の時代に祀られていたということは、邪馬台国が豊後辺りにあって、ヤマト王権に吸収された可能性がありますね。アマテラスがニニギに三種の神器を与えたとあり、神武天皇の時代に八咫鏡があるわけがない。神武の東征は、初期のヤマト王権に加担していた海人族の話だと思います。その海人族の祖先は、徐福が連れてきた3,000人の中の一部であったと。邪馬台国は、その人等によって建てられた国だったのではないでしょうか。海人族の祖神がアメノホアカリであり、ニニギの弟となっているのも臭い。京都府宮津市大垣にある[元伊勢]籠神社には、アメノホアカリが主祭で相祭にアマテラスが祀られているのも、ヤマト王権と海人族との関係がウイウイの関係にあったことを物語っていると思います。海人族=邪馬台国は、ヤマト王権に飲み込まれた。だから、大和朝廷の「記紀」に邪馬台国の話を載せる必要がなかったのだと思います。